防災・減災への指針 一人一話

2013年11月19日
防災訓練を住民交流の場に
フリーカメラマン
宮城 武雄さん

歴史理解の不十分さ

(聞き手)
 東日本大震災以外に、何か災害に遭った経験はありますか。

(宮城様)
私は多賀城の八幡地区の出身で、近くに砂押川があるので、小さい頃は水害に遭っていました。昔のチリ地震津波の時は、塩釜の陸地に船が上がったというので見に行きましたし、宮城県沖地震の時は会社が多賀城にあったので、消防隊の隊長として対応しました。
その時の災害の教訓を、会社の後輩や地域の方に何回も話をして、伝承するようにしています。

(聞き手)
宮城様から見て、地域の方で、過去の震災の歴史を知っている方は多いと感じていますか。

(宮城様)
少ないと思います。東日本大震災以前は、防災関連の話でも、貞観地震などが引き合いに出されることはなかったと思います。
私もこの辺まで津波が来て建物が壊れ、たくさんの人が亡くなったというのが、日本三大実録に書かれていたという程度の認識でした。

(聞き手)
今回の震災で、初めて、過去にこの地を襲った津波の恐ろしさを知ったという方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

(宮城様)
東日本大震災を経験して後世にその教訓を伝えたいとの思いで、自費出版した『3.11を忘れないで』という記録集を出してから、地元でも詳しくお話を聞きたいという人が結構いました。
地元多賀城を始め、仙台、この間は大阪からお話を聞きたいと来られた方がいました。特に兵庫県の加古川市から来られた方は、周りに沼が多くあるために、台風で大雨が降った時に避難勧告が出るそうです。昔から多賀城と同じく湿地帯が多い所だったという事で、共感しました。

被災地の防犯対策

(聞き手)
 発災当時の状況と、その後の行動についてお聞かせください。

(宮城様)
当時は民生委員として中学校の卒業式に出席した後、多賀城のイオン近くにいました。
地震の際は、先ほどお話したように貞観地震の事が頭に浮かびましたので、津波が来る恐れがあると思っていました。
私は、自宅の脇でコインランドリーを経営していて、そこに多量のプロパンガスがありましたので、引火したら我が家ばかりでなく、街を焼いてしまうと思い不安でした。
そして、揺れの途中で少し収まった時に車のエンジンをかけ、急いで自分の経営するコインランドリーに向かいました。道路では信号も止まり、車も渋滞していました。
ようやく到着し、ガスボンベを全部閉めて、近所の方にも声を掛けてひとまず少し落ち着きましたが、すぐに大津波警報が出ました。
パトカーや消防車が避難を呼び掛けていました。
その後、自宅が被害を受けて、多賀城東小学校に1カ月間避難しました。食糧や水がわずかしかなく、食パンは4分の1で一食でした。
大変だった事は、私は避難所で食事担当でしたので、食事の量に納得して頂くために、「有り難いことですから、分けて食べませんか」と言いながら配った事でした。
関西から2トントラック2台で、昼夜で2人ずつ交代しながら4人で支援に来られた方がいて、団体名も個人名も匿名でしたが、食べ物や生活用品、ティッシュペーパー、トイレットペーパーなど、いろんな物を寄付してくださりました。
私は、もし逆の立場で、今、他のところがこのような事態になったら、この年齢で同じことができるのかと思いました。
ある時、40歳半ばぐらいの男性が訪ねてきて、携帯電話の店と郵便局の場所を教えてほしいと言ってきました。
その方は、作業着や長靴が泥だらけで、帽子をかぶり、髭もぼさぼさでした。私はその方を車に乗せて案内しました。
車中でお話を聞くと、石巻から来ていて、家族も子どもさんもいるが、仕事は休職されたそうです。
感銘を受けたのは、「長い人生の中に6カ月ぐらいはこういう時間に使っても何らおかしくない」と言われた事です。
本当はとてもお話し出来る心境ではないのでしょうが、素晴らしい人生観に感心しました。
残念だった出来事は、流されてきた車に泥棒が入ったという話を聞いた事です。そのため自転車でパトロールをしていました。偶然、1人が見張り役をして中に入って物色しているようなそぶりを見かけました。しかし、相手は複数でしたので、怖くなって見て見ぬふりをしていたところ、こちらに気付き、引き上げて行きました。
避難所の生活には、やはり皆さん、徐々に限界がきて、息苦しさを感じていたように思います。
毎食分けて食べるように言っても守ってもらえず、お互い混乱していますから怒鳴り込んでくる人もいました。
ですが、隣近所に配ってくださいと支援物資をたくさん頂き、岐阜県からは瀬戸物セットが200箱も届いて、自宅で頑張っている人にお渡ししました。本当に苦しかったので助かったと言う人もいましたが、届けに来るのが遅いと言う方もいて、色々な人間模様をうかがい知ることになりました。

(聞き手)
多賀城東小学校には何名くらい避難されている方がいたのでしょうか。

(宮城様)
別の避難所から移動して来た方もいましたので一定ではありませんでしたが、毎回、食事は500食を準備するようにしていましたので、400人以上はいたと思います。

(聞き手)
宮城様のご家族は一緒に避難所にいたのでしょうか。

(宮城様)
妻も一緒でしたし、娘は震災後3日目に帰って来ました。

緊急エリアメールの課題

(聞き手)
 今後の防災対策における問題点と課題、多賀城市への要望などはありますか。

(宮城様)
防災行政無線で避難を呼び掛ける際、住民の方にはテレビを消して窓を開けて聞くように言っているのですが、反響して聞こえは良くないと思います。風の向きもありますが、喋り方も影響していると思うので、改善していければと思います。
他には、エリアメールについてです。仙台、塩釜、七ヶ浜、多賀城から、緊急地震速報の知らせが来るのですが、多賀城市からのものは文頭にどこからなのか表記していません。緊急の時に何度も確認している暇はありませんので、すぐに対応出来る工夫をしていきたいと思います。
それと、防潮堤工事はL1、L2というようにランク分けされています、L2は費用も掛りますし、千年に一度クラスの津波を防ぐのは困難でありますし、また、その津波が千年後に来るとは限らないので、むしろ、この間に住民の方の防災意識と訓練を徹底させるべきだと思います。
津波を体験した人とそうでない人の温度差はありますが、声掛けや安否確認に加えて、まずは自分の命を守ることを話していきたいと思います。そのためにも、常日頃のその地区のコミュニケーションが大事だと思います。
また、緊急時の要援護者の名簿があります。希望する要援護者を受け付け、緊急事態の発生時、助けに駆け付けようというもので、要援護者1人につき支援者は3人が必要だと思っているのですが、若い人も少なく、現在支援者がゼロの方もいます。実態に合った制度にしてほしいですね。
3.11の津波の到来は干潮時に近い時間でしたが、満潮時に来たならば90センチぐらい余計に来たことになりますから、砂押川を超えたと思います。
ですから、同じ日で時間帯が少し違っていたらもっと大きな災害になったと思います。
また、県の復興工事説明会では、貞観地震シミュレーションの説明を受けたとき、海岸線位置や川の状態、湿地の状況を考慮していませんでした。
今後は本気で防災に取り組んでほしいです。
宮古市田老の堤防には、震災の年の6月に行って来ました。堤防に使われている鉄筋があまりに細く驚きました。また、普代村には港に15メートルの堤防があります。当時の村長は、15メートル以上の津波が来たことがあり、15メートル以上でなければ絶対だめだと言って作らせて、住民人たちを救ったという事でした。復旧・復興には歴史上にある例も参考にし、真の市民を守る防災・減災工事をお願いしたいと思います。

大雨対策の必要性

(聞き手)
先ほど宮城様は、防災に対して温度差を感じるとおっしゃっていましたが、避難勧告を出す時の注意点として、何か考えはありますか。

(宮城様)
天災は、どのくらいのものが来るのかわからないですが、例えば多賀城市は水害が非常に多いです。陸上自衛隊近くに八幡ポンプ場があります。砂押川の上流には大和町、利府町の団地があり、大雨になれば遊水池はあるにせよ水が一挙に下ることになりますし、対応可能な降水量にも限界がありますので、それを超える大雨になった時に、市民に早く緊急事態の状況を伝えることが必要だと思います。
これからは市の安全区域と警報の出し方の確認をしていきたいと思います。

(聞き手)
例えば行政が避難勧告を出しても、避難しないというケースも出てくるかと思うのですが、いかがでしょうか。

(宮城様)
震災時、お年寄りの方は逃げられずに自宅の2階などに上がりました。足が不自由などの理由で、避難所に逃げたくても逃げられず、数日後に救助された方もいました。
また、パトロールしていたら、腰が悪く歩けない人を見つけて、高台におぶって連れて行きました。その後、地元の消防隊を呼んで、ポンプ車で多賀城東小学校へ連れて行きましたが、もしも、あの人たちが、地震直後に避難しようと移動していたら、津波に流されていたかもしれないと思います。
ですから、指定避難場所に避難するというのも大切ですが、必ずしもそれが正解ではなく、命を守るということを最優先にしてほしいです。

防災訓練を住民交流の場として活用

(聞き手)
その時の的確な判断と、日ごろの地域でのコミュニケーションや繋がりが大事ということでしょうか。

(宮城様)
その通りです。地震が発生したら津波の有無の情報入手は必須です。また、大声で付近の人達にも伝え、高いところ、あるいは、遠いところへ逃げることです。
町内会をもう少し交流の場にすることも必要だと思います。
私が避難所でやってみたことなんですが、できる限り多くの方に顔見知りになってもらえるようにするため、避難所で手伝ってもらう方の名簿を作りました。
若い人達にも積極的に声掛けしました。
その後、平時の挨拶やコミュニケーションが増えたので非常に良かったと思います。
また、この間の大代中区での防災訓練の時は、最後に芋煮会をしました。
すぐに解散というところが多いですが、別会場で芋煮やおにぎりを80食ほど用意して、皆さんを誘って一緒に食べました。
他愛もない会話でも交流が生まれて良かったと感じました。
訓練のための訓練はやめて、模索しながらも、反省点を改善していかなければなりません。
財産はまたつくることもできますが、命だけは替えがないので、守らなければなりません。

コミュニケーションにおける自己開示の大切さ

(聞き手)
宮城様の、若い世代に引き継ごうとしている姿勢が素晴らしいと思います。それに関してのお話をお聞かせください。

(宮城様)
避難所に協力的な若い人達が数名いまして、一生懸命に頑張ってもらいました。若い人は関心がないから年配者だけでしましょうと言っても後のためにもなりませんし、意外と若い人にお願いすると快く協力してくれますので、関わりをもってもらうようにしています。
また、市役所と住民の間に、緊密な繋がりが必要になると考えています。
更に、今回各地から避難所に支援していただいた方々には、名刺代わりの栞を何千枚も作りました。
岐阜から来た看護師さんたちは2週間しかいなかったのですが、日曜は休みでしたので、車で1時間ほど多賀城を案内しました。今度は家族で多賀城を訪問したいとお話があったりして、繋がりが生まれたので、コミュニケーションにおける自己開示の大切さを感じました。
自分から心を開かないと相手の人も開いてくれないという根底の重要さにも触れました。

(聞き手)
 観光面での復興において、多賀城市はどうあるべきだとお考えですか。

(宮城様)
市の歴史を考えると、多賀城は奈良、平安時代をベースにして観光を進めて来ました。日高見の国、山の手等、縄文時代の文献にもあるように、また現状発掘の報告上でも縄文時代の貝塚や豪族の建屋も出ていますので、重要な財産として歴史を守っていってほしいと思います。
30年くらい前に同級会で砂押川に桜を植える会を作ろうかと話したことがあります。大代の貞山掘や緩衝緑地公園から多賀城政庁を、桜花で繋げていくというのも歴史を感じる一つの風景として、復興と一緒にそのようなまちづくりをしていければと思っています。

(聞き手)
震災の復興のシンボルにもなるのではないでしょうか。

(宮城様)
多賀城は13の村が合併して出来たので、まちとしては大きいですが、メインとなるところがないと感じます。市内の中心に商店街があるわけでもないので、お互いの特徴ある地域づくりの中で、いろいろな特徴がたくさん出れば面白いのではないかと思います。
私は、好きな花をテーマにした地域づくりを考えていて、「大代花の町」という構想を思い描いています。

後世に伝える記録として「3.11を忘れないで」を発刊

(聞き手)
最後に、宮城様が作られた『3.11を忘れないで』という記録集を出版した理由や内容の紹介、出版に至るまでのご苦労などがありましたら、お話いただけますか。

(宮城様)
記録集を作ろうと思ったのは、後世に伝えたいという気持ちが一番にあったからです。たくさんの支援も受け、物品も頂き、自分は何が出来るのかと考えた時に、私は写真を撮り、色々なお話を掲載して、震災の写真だけではなく、多賀城の地理や歴史などの資料も入れ、風化しないような内容の記録集を作りたいと思いました。
千年に一度の地震だと言われていて、もし千年後にしか来ないというのであれば、私たちが生きている間にその事実を残しておきたいと思ったからです。被害を受けた方、亡くなった方もおられますし、家が流されて辛い経験をしている方を見て来ましたので、次に来た時はこのような大きな被害にならないように、各行政は勿論、私たち市民も出来ることを一つずつしていきたいという気持ちがあります。
例えば、その中の説明に、「津波痕跡」という、ここまで津波が来たと壁に水平に付いている到達点がありますが、津波は波を打って来るので必ずこの線よりも何十センチは高い水が来たということを書いています。そのような話は、聞かなければ、わからないと思います。
道路から各建物までの痕跡を記録し、地図を作成するだけで1カ月半ぐらいかかりました。

(聞き手)
作成する前と完成後では何か気持ちに変化はありましたか。

(宮城様)
この記録集を、お年寄りから孫、子どもに見させておきたいということで、かなり問い合わせがありました。
遠いところだと、淡路島から来た高校の先生が、個人での出版を評価して頂き、購入して頂きました、
また、東京大学法学部第二研究室では、将来のために、勉強の資料にすると言っていました。

(聞き手)
 他に何か、伝えておきたい事はございますか。

(宮城様)
一番大事なことは、自分の事だけと考えず、相手を思いやるという事です。お互いに分け合って、助けたり、助けられたりするものだと思います。小さな行動からでも、そこからコミュニケーションが生まれ、相手を思いやることに繋がってくると思います。