東日本大震災の記録

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東日本大震災の記録

東日本大震災の記録102第6章3月日から今のこと114年志賀海斗ぼくは、3月日に家を見に行き13ました。そしたら、号線にタイヤ45などが流れてきていました。川は、油だらけでした。地震直後のすごいつなみで、たいへんでした。ぼくは、水くみをかかさず毎日やっていました。なくなった人もいたので、ぼくは、なにかをやってあげたいと思って、すごく考えても思いつきませんでした。やはりぼくたちは、学校に行くことでがんばるしかないんだなと思いました。3月日の津波と地震114年松本珠侑わたしは、3月日学校にいまし11た。その時ちょうど帰る時でした。2時分に地震がありました。わた46しは、その時とてもびっくりしました。家族が心配でした。学校で親がむかえに来てくれるのを待っていました。それから、家に帰って話を聞きました。テレビを見ていたら、急に、きん急地震そくほうが出たのだそうです。それから、大津波けいほうが出て、波がきました。場所は多賀城でした。みるみるうちに町が海のようになっていきました。その時、きっとあの水の中には、なくなった人がいっぱいいるんだろうなと思いました。悲しかったです。今はまだひなんしている人もいます。つなみで家がなくなった人もいるし、家族がなくなった人もいるし、とても悲しくなりました。今でも地震は続いています。だから気をつけていきたいです。同名校の縁で昨日は、石川県七尾市山王小学校のみなさんが約600kmを走行して、多賀城市まで来てくださいました。そして募金で集めたお金やアルミ缶回収の収益金を加えた約万円52を、一日でも早く子どもたちのために役立ててほしいと、届けてくださいました。また義援金とともに子どもたちや保護者のみなさんが作った千羽鶴やメッセージカードも届けてくれました。昨日の集会では、その思いやりの心と行動力に感動し、胸が熱くなりました。同行した中田校長先生は子どもたちに元気に語りかけ、励ましのことばをくださいました。子どもたちも大きな声で答えました。そんな山王小の子どもたちに感激したようです今。朝、七尾市に電話をしました。校長先生は元気に勤務されていましたこ。れからも同名校として、交流を深めていくことを約束して電話を置きました。6年生になっての思い6年2組宮川紗絵私は、3月日の大地震でいろい11ろなことを感じました。まず、もののありがたみ、大切さを感じました。お店などもあまり開いてないので、食料や生活用品が不足しつらく不便な生活を経験しました。今、生活はじょじょに安定してきていますが、食べられるものも限られています。しかし津波で家などが流されて被災された人たちのことを考えると、家族そろって食事をとれることだけでも幸せだと思います次。に、人と人とのつながりです。この震災で、長野や山形、大阪から復旧のために来てくれた車をたくさん見かけました。こんな遠くから来てくれたことに感動し、(日本ってすごいな、日本ってつながっているんだなあ)と思いました。私は最上級生の6年生になりました。この震災で、私もたくさんの人と助け合ってきました。そして、この経験をかてにして、すてきな6年生になろうと思います。私が6年生になってがんばりたいことは、三つあります。まず一つ目は、1年生のお世話ですと。きどき1階のろうかを通ると、6年生が1年生と楽しく遊んでいました。楽しそうに遊んでいる6年生と1年生を見ていると、私までいつのまにか笑顔になっていました。なので、6年生になって1年生を笑顔にしてあげたいと思いました。二つ目は、行事などをひっぱるリーダーになることです。去年の6年生も運動会やほなみまつりなどで、がんばって準備やあとかたづけなどをしてくれました。元気に働く6年生が、とってもかっこよかったです。これから、すすんで行動して、たくさんの人の役に立ちたいですそ。して三つ目です。それは、今できることをやろうということです。今、日本では、たくさんの人の笑顔が失われています。なので、私は今山王小でこまっている人がいたら助多賀城小学校山王小学校