東日本大震災の記録

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東日本大震災の記録

東日本大震災の記録108第6章今日を一つの区切りとして、学校生活の正常化に向けて大きく踏み出していきたいと思います。このような状況の中にあって、心豊かに生きるとはどういうことか、逞しく生きるとはどういうことか、心静かに思いをめぐらしてください校。舎二階の玄関正面に掲げてある校長名の感謝状、気が付いた諸君は何人いるでしょうか。次のような内容です。感謝状ボランティア中学生殿本校体育館が、三・十一の東日本大震災以後、地域住民の避難所となってから、給水支援、トイレ環境整備、物資運搬、食事支援などのボランティア活動を自主的意欲的継続的に行っている本校生徒諸君の姿を誠に誇らしく思うと同時に、その献身的な活動に深く感謝します。諸君の先輩諸氏の姿です。心豊かに生きる、逞しく生きる、ということの一つの姿を見て取ることができると思います。さて、諸君にとって、心豊かに逞しく生きている姿はどんな姿でしょうか。今日から始まる中学校生活、人生でもっとも輝ける時期だと思います。「自分の人生の主人公」になってください。そして、「自分と同じくらい」他人を、友達を大切にしてください。この二つの根っこは同じなのです。素晴らしい中学校生活を実現してください。私たち教職員は、地域の皆様・保護者の皆様と手を携え、精一杯頑張ってまいります。今後とも子ども達の健やかな成長のために皆様のご理解ご支援を心よりお願い申し上げ、式辞といたします。4月7日登校日生徒作文から3年生3月日。あの長かった一日、僕11は「人」であることを教えられた気がした。あの日の午後2時分は、46父と共に利府のイオンに行って、父の靴を見ていた。あれだけ長く強く揺れたのは無論初めて。周りにいたお客さんが口々に叫ぶ悲鳴が恐怖感をあおった。そして次の瞬間だった。電気が消え、蛍光灯の破片が降ってきたかと思えば、なんと天井、さらに数十mはあろうかという太い配管までもが落ちてきたのだ。それでも父は隣で「大丈夫だぞ」と言い続けてくれた。揺れが収まり、薄い天井の板を押しのけると、そこには想像できない利府ジャスコの姿があった。スプリンクラーが発動し、足下は水浸し。それが原因で「火事です」のアナウンスが鳴っていた。上を見上げるともう何もない。横には品物が散乱している以上にぐちゃぐちゃになっていた。そして驚くべきことに気づいた。すぐ隣にいた親子が、あの配管の下敷きになっていたのだ。近くにいた人々をかき集めて救助にあたった。それでも数十mある配管である。人ばかりで20は、びくともしなかった。でも、そのときには全く別々の思いだった人々が、1組の親子のために救助する姿は、あの地震より強いものだったと今は感じる。レスキュー隊が来たときに、僕らは屋外へ逃げたのだが、あの親子を助けきれなかったことに無力さを感じた。あのときから1ヶ月がたった。近所付き合いも以前以上に増えた。家族でいる時間も増えた。きっとあの地震は「人」の強さを試していたのだろう。1ヶ月でたくさんの人の強さを見てきた。そのたびに、人は何とすばらしい生き物なのだろうと感じた。今は億人が僕らの見方だ。65億人の強さは、M9・0の地震のエ65ネルギーよりも強いはずだ。だから、今は復興のために少しずつがんばっていきたいと思う。そして、あの親子の意志を引き継いで、強く、強く生きる。そうしていきたい。学期始業式での代表生徒の発表から3年生の抱負3年佐々木達也3年生としての抱負は2つあります。1つ目は、最上級生らしい言動をとりたいことです。早いもので、中学校生活も最後の年となりました。今年度は、私たちが最上級生となり、受験生となります。受験生として勉強に力を入れるのはもちろん、東豊中の顔となる私たちは、後輩の手本となる言動・行動をとる必要があると思います。だから、1つ目の抱負として、言動・行動に注意し、生活していこうと思います。2つ目は、自分の周りにあるたくさんの物に対して、ありがたみをもちながら生活していきたいということです。このような考えをもったきっかけは、先月(日)の震災が11あったからです。地震・津波の被害により、ライフラインがすべて使用できなくなりました。水が出ないから水を汲みに行ったり、電気が使えなかったり、物資が不足してお店が開かず、お金があっても物を買うこ東豊中学校