東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 151/178

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東日本大震災の記録

151資料編●ラジオで大津波警報を聞いたが、宮城県沖地震でも津波の経験をしていないので現実味がなかった。(八幡)●このような大きな震災に遭ったが、当日津波被害のない場所にいたため幸いである一方で、経験できていないことで危機感が持てていないことをもどかしく思う。災害から身を守るためには自助が一番必要であることを学んだ。(高崎)●「災害は歴史に学べ」。自然災害をなくすことはできないが、被害を減らす、小さくすることはできる。過去の災害を正しく認識し、教育訓練の徹底を。「失敗は伝わらない」ことにならないように。(高崎)●地震時の初動は、まず自分の安全を確保することが重要、自分が安全でなければ、その後誰も助けることは出来ない。(高橋)●非常食の準備の大切さを痛感した。頭では思っていたが、実行せず。(伝上山)●最悪の想定を事前にして備蓄等(水、イベント実施による関係づくり)をしておいてよかった。(伝上山)●震災の日前に婦人防火クラ15ブで津波被害のことについて学んだばかりだったので、応用することができた。(鶴ヶ谷)●震災があった日の午前中、鶴ヶ谷地区集会所で市の職員と地域内の防災マップづくりに関する勉強会をしていた。この日も近い将来発生が予想されている宮城県沖地震等を想定しての話し合いだったので、地区内では震災以前から防災に関する危機意識が高かったし、それらに関する取組も行っていた。(鶴ヶ谷)●震災後は、風呂水は捨てない、ガソリンの残量、自らが取り組むべき備蓄品の準備等、以前より意識が高まった。(鶴ヶ谷)●「3・3・3・3」がキーワードだ。これは、震災発生後秒30のうちに自分の命を守ること、3分以内には家族の命を守る取組をすること、分以内に隣近30所で命を守る活動をすること、さらに3日間は、自助・共助のチカラだけで対応することができるだけの飲食物を備えておくこと。こうした考え方を広めたい。災害直後から市を初めとする他の活動に頼るのは到底無理である。(鶴ヶ谷)●一般的に、もう3・みたい11な災害は無いと言われるが、「100%絶対大丈夫」と言うようなことは無いと思っている。今後、二重三重の防潮堤を早い段階で作って減災に努めなくてはならない。(桜木)●千年に1回という大災害を無事に乗り越えられた人は、本当に幸運な人間である。「常時戦在」という言葉があるが、大災害発生は人間の成長に大変良い経験を受けられたと感謝している。(高崎)●今回の震災で地震・津波の恐ろしさを嫌というほど体感し、語弊があるかもしれないが勉強になった。普段の防災訓練が、防災に関して真剣に取り組んでいなかったことを痛感し、また、3月9日に地震があった際も避難するという意識が起きていなかった。(大代)●震災発生以降は、何かあるたびに近所の高齢世帯や要援護者の家を見回った。(下馬)●想定(先入観)にとらわれないことが大事。震災を経験したこと自体がこれ以上ない財産になると同時に、経験者の憶測(「東日本大震災でもここは無事だったから大丈夫」など)を他の人がうのみにする危険性もある。(大代)2避難所?避難所生活●どんどん避難者が来るのにそれらの人を整理する人がいなく、PTAなど、そこにいる人で対応した。市の職員は夕方ごろ来た。(新田中)●プールからの水くみ、トイレなどの掃除等、高崎中の生徒・先生方の働きが素晴らしく、本当にありがたかった。(高崎)●学校の施設・備品使用の要望を全て認めていただき、テレビやジェットヒーターが使えるようになったことでとても助かった。校長先生の即断・指導のおかげ。(高崎)●文化センターへ避難したが、照明がなく夜が暗いため、とくに高齢者は怖い思いをした。発電機があればと思ったが、燃料がなかったり、長い間使っていなかったため使用不能の状態だと聞いた。(桜木)●おにぎりや菓子パンなどの質素な食事から、カップラーメンに変わったときに具合が悪くなる高齢者の方がいた。(高橋)●八幡公民館に避難した人は近所の住民ではない人が多かった。(八幡)●さびしい、怖いということで避難所へ避難していたケースがあった。(新田中)●避難所に避難することに、遠慮(ためらい)があった。(伝上山)●トイレや間仕切りの問題もあり、若い女性は避難所へ行くのをためらっていた、トイレ、間仕切りの整備を望む。(山王)●女性としては男性に話しづらいことがあったり、男性の視線も気になるので、女性のリーダーづくりが必要。(高橋)●自衛隊では動物と人間を分けてもらっていた。東豊中ではさらに高齢者も別の部屋にしてもらっており、今後は例えば子連れの方など、特別な事情の方に対する避難所における配慮を細やかにできると良い。(大代)●避難所の食事で並ばないともらえなかった。寝ている人はもらえない。数日後声がけをして子供にも手伝ってもらった。(新田)●城南小の避難所にいたが、子どもと遊ぶボランティアがいたり、小さな子連れという事情にも配慮してもらえた。(桜木)●避難所で知らない人たちとの共同生活だったが、譲り合ったり励まし合ったりして、人のありがたみがわかった。(桜木)●もし七北田川の堤防が決壊していたら、避難所(山王小)までたどり着けない。(新田)●塩竈三中まで300mほどで行けるのに、下馬地区の指定避難所である総合体育館が遠い。(下馬)●避難所で配布していた食糧等