東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 67/178

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東日本大震災の記録

67第3章活動の報告外出中に地震は来た。最初、これは宮城県沖の地震だなと思った。分団のある地域では、つね日頃から地震=津波という意識が高く、すぐに津波の広報活動をしなければいけないと思った。車を使い外出先から10分ほどで家に戻り、無線機とヘルメットを持参して、ポンプ置き場に着いた。数分後、機関員の団員が1人来たので、分程一緒に広報活動40を行いポンプ置き場に戻ってきた。その時、ポンプ置き場には、私も含めて5人くらいの団員が集まっており、詰所に待機していた。津波は第一波とか第二波という感覚ではなく、ものすごい勢いで襲ってきた。今まで体験したことがない状態で、ただただ恐れるような気持ちで、不意打ちをくらった心境で見ていた。ポンプ置き場は1・6m浸水した。当日は、雪が降っていてとても寒かった。日の時分頃にJXの石油コ112150ンビナートで火災が発生した。当時JXの担当者がポンプ車置き場に来て、火災を消すことはできず、すべてを燃やし尽くして鎮火を待つしかないと言われた。多賀城駐屯地に避難した人が、当日時頃150人ぐ23らいいたが、JXの火災現場から2km以上離れるように指示されたので自衛隊や消防団の車両で、避難者を別の避難所に搬送した。地震後3日間ぐらいは交替制の24時間態勢で、大代橋のたもとの自家用車やポンプ車内で仮眠をとりながら待機していた。3~4日経つと、団員も疲れてきて、指示してもすぐには受け入れられなくなってきた。「消防団の任務外ではないか」と反発があった。しかし、協議している時間がないため、団長のトップダウンでやることを理解して下さいと説得した。また、団員の自宅も被災していたため自宅の片付けなどをしなければいけないという焦りがあった。日に分団長会議があり、被害の19少なかった分団が、被害の大きい5分団、6分団の応援にあたるということになった。遺体収容や交通整理、窃盗等への警戒活動を重点的にやるように依頼していた。日で分31団待機も終わり、自宅待機になった。4人の団員の自宅が浸水していたために、その後も分団のポンプ置き場の2階に寝泊まりしていた。6分団員たちは、本当によくやってくれた。今回の津波で、避難は避難所にこだわらず、より高いところに避難するということが大事だと実感した。また、消防団としてそのような広報を行わないと人命は救えない。時間体制による消防団活動24第2部多賀城消防団の活動多賀城市消防団第6分団伊藤勲さん分団長