東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 85/178

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東日本大震災の記録

85第4章3・11ドキュメント「あの日」ない!と察知し、各クラスの状況を確認しようとしましたが、大きな揺れの為になかなか前へ歩き進む事ができず、ガタガタと大きな音で左右にスライドする窓をつたいながら、4歳児クラスへ入りました。月1回の避難訓練の成果が発揮され誰一人泣いたり、騒ぐことなく、しっかりと布団にもぐり保育士の指示を守っていました。耐震対策をしていたオルガンもいつ倒れるかわからない程大きく揺れ、私は子どもに覆いかぶさりながら両足でオルガンを押さえつけまさに無我夢中でした。何分位揺れていたのか…そんなことを考える余裕もなく、揺れの状態を見て園庭へ避難しました。見るからに寒そうなパジャマ姿の子ども達。皮肉にもそこに雪がちらつき始め、ジャンバーを着せたり、毛布をかけたりと寒さ対策をしました。徐々に保護者の方がお迎えに来て、子どもと一緒に降所しました。泣きながらお迎えにいらした方もいました。雪と寒さしのぎの為、ブルーシートでテントを作り子ども達は肩を寄せ合う中、何度も起きる大きな余震…日も暮れ始め、職員も交代で家族への安否確認の電話を入れることにしました。なかなか携帯が繋がらず、普段便利な携帯がこんなにも役に立たない物なのかと思いました。寒さも厳しくなり、暗くなってきたことで不安な表情を見せる子どもがいたので、職員は子ども達の傍に寄り添い少しでも不安を感じないようにしました。又、プレハブの休憩室で身を寄せ合ったり、職員の車を園庭に停めライトで明かりを灯し、車の中で暖をとり、お迎えを待ちました。保護者の方々もお子さんをお迎えに来るまで大変だったでしょう。保護者の方も被災者なのですから。子ども達は親に会えて安心した表情で次々と降所しました。最後の子どもが降所したのは、翌日の0時過ぎでした。当時1歳児クラスの子供でしたが、一切泣くことなく保育士と一緒に保護者のお迎えを待ちました。職員も全員自宅に戻る事ができましたが、私達職員も被災者です。電気もつかない真っ暗な自宅へ帰り、明日からどうなってしまうのだろうかという不安でいっぱいでした。翌日から通常保育開始でしたが、ライフラインが全て止まってしまったので、保育の子どもは上着とお弁当、水分、おやつを持参してもらうようご協力を頂きました。食材もなかなか手に入らない状況でのお弁当は、とても苦労したと思いますが、子ども達は嬉しそうにお弁当を食べていました。調理室の被害も大きかったので、給食の提供は4月になってからとなりました。慌しい中で、新年度を迎えることになりましたが子ども達は進級と入所に期待を持ち、いつでも笑顔を見せてくれました。私達は、その笑顔に力をもらい保育する事ができました。少しずつ落ち着き始め、市役所や他県の方々から沢山の物資が届きとても助かりました。いつもの何気ない生活、食料・生活用品などのありがたみを強く感じ、たくさんの人々の温かさに本当に感謝しています。全国のみなさん、ありがとうございました。現在は、備蓄倉庫も設置し、毎月の避難訓練にも力を入れています。今後、大震災が起きないことを願うばかりですが、災害はいつ起きるのか分かりません…。いざという時に的確な対応ができるよう、私達職員は、常に心の準備が必要だと今回の震災を通して改めて感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「子どもたちの安全」が職員全員の思い鶴ヶ谷保育所主任保育士大友秀子さん翌日に控えた修了式の準備を終え、お昼寝している子ども達を起こし始めた時、経験したこともないような大きな揺れ、その後発令された大津波警報。「子どもたちの安全を守らなくては」との思いが職員全員にありました。なかなか揺れが収まらない中で高台への避難という決断は、大変勇気のいるものでした。子ども達の身支度を整え非常食や薬品の入ったリュックを持ち、おんぶや避難車、手をつないでの徒歩と各年齢に応じた避難態勢で避難所の小学校へ向かいました。避難所では保護者にすぐ見つけてもらえるよう体育館の入口側を確保し、子ども、職員がひとかたまりになって過ごしました。バイクを使い布団や非常食を運んでくださった保護者もいてとてもありがたく思いました。『地震が続いても先生がいるから大丈夫』という思いをしっかり伝え、持参したおやつを食べたり水分補給をしたり、常に子ども達に声を掛けていました。一方、つながる携帯電話を使用し、保護者に連絡を取ったり、保育所に残った職員と状況を伝え合いました。次々とお迎えが来る中、残された子ども達はとても不安だったと思います。一晩避難所に泊まった子どもは5名いました。保育所から二次避難するまで、そして避難所でも泣くことなく職員の話を聞き行動に移していた子ども達はとてもけなげでした。3月という年度末の時期だったことも落ち着いて行動できたひとつだと思います。非常持ち出し用に色々な物を準備していましたが、実際使用してみると、使いづらい物や不足している物など問題点が出てきました。職員間で問題を洗い出し、より活用できる物を買い足し準備しました。非常に悲しい災害で、子ども達も職員も大きな打撃を受けましたが、その後全国から物資や支援を頂き、たくさんの人々の温かい心に接し、勇気づけられました。