東北大学災害科学国際研究所 所長 今村文彦 氏

東北大学災害科学国際研究所 所長
今村文彦 氏

宮城学院女子大学 学長(元東北大学災害科学国際研究所 所長) 平川新 氏

宮城学院女子大学 学長
(元東北大学災害科学国際研究所 所長)
平川新 氏

「都市型津波被害」とは

「都市型津波被害」とは

建物が林立し、海が見えない工場地帯や住宅地を襲った津波。多賀城市における津波被害の特徴を東北大学災害科学国際研究所・所長の今村文彦先生に伺いました。

<予想外の方向から襲来>

「都市型津波被害」とは、津波が臨海部の港湾や工業地帯、高密度な市街地を広域的に襲い、甚大な被害を与えた津波被害を表します。実際、多賀城市では、宮内地区や明月地区、桜木地区、大代地区、町前地区、八幡地区と広範囲にわたって甚大な被害を受けました。まさに「都市型津波被害」です。その特徴は、複雑な挙動と甚大な波力にあります。

調べてみると、多賀城市を襲った津波は、仙台港方向からの津波、砂押川を遡上してきた津波、砂押川から貞山運河を遡上した津波と、大きく分けて3つありました。それらは、仙台・塩釜線(産業道路)や国道45号をはじめとする道路を水路の代わりして内陸部へ進みました。一方、明月地区や市街地の中心部などは仙台港方向からの津波に加えて、砂押川を遡上し堤防を越えた津波の2つが襲いました。海のある方向ではない、思いがけない方向からも襲来し、人と街を襲ったのです。

  • 予想外の方向から襲来1
  • 予想外の方向から襲来2
<上陸後に高さを増し、速度を上げ、被害を拡大させる津波>

「都市型津波被害」の被害の大きさは、次のような津波の特徴によるものでもあります。市街地には工場やマンション、オフィスビルなどの頑丈な建物があるため、津波はそれらに遮られ、流れる範囲、行き場を狭められることになります。多賀城市の各所でも、次々に津波が襲来する中、それに押されるようにして、高さを増し、流速を速める「縮流」という現象が起こったようです。また、小さな川が合流して大河になるように、細い道を抜けた津波が交差点などで一つになる「合流」も起きたようです。

先の「縮流」ですが、多賀城市内で撮影された映像を分析すると、秒速1メートル(時速3.6キロ)にも満たない速さで進んできた津波が市街地で加速し、わずか数分で秒速2~5メートル(時速7.2~18キロ)ほどに達しました。上陸してしまえば津波の勢いが弱ってくると考えがちですが、逆に高さや速度を増してしまうことがあるわけです。その上、海とは逆の方向から襲ってくる場合もあるのです。警報や注意報が発令された場合には、近くにある頑丈で高い建物に速やかに避難することを意識していただきたいと思います。

  • 被害を拡大させる津波1
  • 被害を拡大させる津波2
今村文彦 氏

≪お話≫

東北大学災害科学国際研究所 所長
今村文彦 氏

[プロフィール]
東北大学大学院工学研究科博士課程修了。専門は津波工学。
同大学工学部助教授、同大学大学院工学研究科所属災害制御研究センター教授などを歴任。
平成26年より現職。

歴史に学ぶ 「多賀城と津波」

朝廷の地方経営のための役所が置かれ、平安時代の歴史書にも津波被害に関する記録が残る多賀城。東日本大震災による「都市型津波被害」を知る事前知識として、歴史に学ぶことの大切さを元東北大学災害科学国際研究所・所長の平川新先生に伺いました。

<「貞観地震」と多賀城>

869年(貞観11)の貞観地震による大津波は陸奥の国府多賀城にまで押し寄せ、千人が死亡したという記録があります(『日本三代実録』)。明治時代には地理学者の吉田東伍がその記述に注目し、研究しました。現在は、地質学や津波工学の立場の先生方による地層調査(津波堆積物)など実態研究が進み、東日本大震災の大津波とほぼ同じ内陸部まで津波が来たことが確認されています。このたびの津波が「千年に一度の大津波」といわれるのはそのためです。では、貞観の大津波はどの辺まで上陸したのでしょうか。現在、「市川橋・山王遺跡ライン説(A説)」と「沼向遺跡ライン説(B説)」の2つの説が考えられています。 

  • 「貞観地震」と多賀城1
  • 「貞観地震」と多賀城2
<地域の地震・津波の歴史に関心を>

歴史記録には、1611年(慶長16)に相馬から三陸地方一帯を襲った、いわゆる慶長津波の記事もあります。仙台藩領の沿岸地域では1,800人近くの犠牲者がでたとあり、盛岡藩領でも3,000 人ほどの被害があったといいます。慶長津波の地質学的な研究はまだ十分に進んでいないようですが、宮城県南では海岸線から500メートルまで到達したことが確認されています。
その慶長津波から、現在はほぼ400 年です。大きな津波は「千年に一度」ではなく、「400 年に一度」は来ていたのでした。また、1774年の「安永風土記」には八幡社の門前町が津波で流失したとの記述も見られます。江戸時代以後の記録をもとに考えると、中小規模の津波は約30年周期とも言えるようです。
こうした歴史を前にしたとき、私たちはどうすればよいのでしょう。古くから災害史という分野が存在し、近年では環境史という、人間を自然の生態系のなかで位置づける視点も提起されてきました。地震史研究や津波史研究に取り組む研究者も、わずかですが出るようになっています。おそらく、今回の大震災を機に、災害史や環境史に対する歴史学的関心が高まっていくことでしょう。歴史に学ぶことは大切なことなのですから。

  • 地域の地震・津波の歴史に関心を1
    地形図は仙台市文化財調査報告書第360集より
  • 地域の地震・津波の歴史に関心を2
  • 地域の地震・津波の歴史に関心を3
平川新 氏

≪お話≫

宮城学院女子大学 学長
(元東北大学災害科学国際研究所 所長)
平川新 氏

[プロフィール]
東北大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸時代史・歴史資料保存学。
同大学東北アジア研究センター教授および同センター長を経て、平成26年より現職。