(聞き手)
1階の
総合案内は大変だったというお話はお伺いしているので、ぜひもう少しお話が聞ければ幸いです。
(伊藤様)
総合案内を開設して初めにトラブルになったのは携帯
電話の充電の件でした。通話は繋がらないのですが充電はしておきたいと市民の方は思っておられたので、予想以上に充電を希望する方々がいて収拾がつかなくなりました。
すると、その混乱を防ぐため災害対策本部では充電サービスを一旦止めようかという
判断になりました。しかし、充電待ちのお客さんがどのくらいいるのかを本部は把握できていないと思い、並んでいる数多くの方々の現状を伝えたらところ、改めて充電の延長をすることに決めました。しかし最終的な決定内容が、私のところに伝わらず、
総合案内窓口ではどのように市民に応えるのかを示せない時間がありました。その件でもトラブルになりました。被災者や避難している方々の要望や支援してもらいたいものがどういうところにあるのかを確認するため、現場の意見や状況を災害対策本部に的確に伝え
判断してもらう仕組みや体制を整備することはとても重要なことだと今更ながらに感じます。
それから、避難
物資の服を洗濯した状態で持ってきてくださった方がいました。
物資担当窓口のところへ、衣類や毛布、布団などを持って行ったとのことですが、一度着た物は駄目だと断られたとのことでした。発生からしばらくたって安定した時期であれば、新しい服が望ましいことは分かりますが、震災直後は靴なども濡れていて、それこそ乾いているものを着たいわけです。そのため、その方にここに置いていってもらえないかと頼みました。その服はすぐになくなっていきました。阪神淡路大震災の時には、古着を送られたら後でごみ処理するのが大変だという話が流布していましたが、本当なら震災直後は着る物もなく、寝ている人たちの毛布もないですから、その状況に応じた
判断が必要だということを
総合案内での対応を通じて学びました。
ある時、避難してきた七ヶ浜町の男性に、はさみを貸してくれと言われました。そうすると毛布を4つに切り、子どもたちに分けていました。これにはとても感銘を受けました。このように、震災直後のときは極端に
物資が不足してしまいます。
なお、市に支援
物資を持っていったとしても受け取らないことを分かっていた方々は、庁舎外の
道路のすみに段ボールを広げて、自由に持ち帰りをすることができるブースを作っている人もいました。
食糧品支援の受付は総務課担当だったのですが、大量の冷凍食品の提供という支援をしたいとの申し出がありました。この申し出をしていただいた業者さんは、目下停電のため現状では保管もできず、ただ捨てることになるため、避難所で使ってもらえないかというものでした。
冷凍食品なので色々な物がありましたが大型のトラック1台分、2台分ということでも、全員に平等に配るには不足するし、また冷凍食品だけに保管する場所もありませんし、すぐに調理する給食センターが辺りにあれば受けられたのですが、私どもの給食センターは津波で使用ができなくなっていたので、結果として、申し訳なかったですが、お断りすることになりました。
ある小学校の震災当時の取り組みとしてPTAで食糧品を
備蓄していたそうです。しかし避難者に対して全然足りなかったため、そのPTAでは、まずとにかく、子どもやお年寄りを優先に配ろうとしたら、周りは何も言わなかったそうです。あの震災当時は、全てが平等に提供できるものでもなく優先順位つけて当たり前であり、子どもやお年寄りに先に配って、余ったものを元気な人たちが半分ずつもらえば良いというような発想が大切だと思います。
(聞き手)
当時の対応で上手く行ったことや、大変だったことはありましたか。
(伊藤様)
私は正直に言うと、地域
防災計画や職員の行動
マニュアルはこのような予想外の大規模災害ではあまり役に立たなかったと思いました。これは、市で行った「震災ふりかえり事業」で、地域との話し合いの場に参加したときの話ですが、私は新田中班として、被災していない地域の方々の話を聞きました。「津波の引いた後の現場に行ってみたところ大変な状況だったため、手伝いをしたかったのですが、何ら情報が入らないので、何をしたらいいか分からなかった。」という人たちの声もたくさん耳にしました。情報を遍く伝えることの難しさはあったのですが、被災地域で求めている支援の内容を被災していない地域の方々に伝え応援を募ることをできたらよかったという風に思っております。
また、常日頃の地域のコミュニティが非常に大変で必要だということが実感でき、この震災を契機に強く感じましたという声が多かったです。区長さんからいただいた意見として、区長さんと民生委員など限られた人だけで、1人暮らしの方の安否確認をしたとのことですが、個人情報保護の関係から、なかなか他の方々に教えることができず、その当時は限られた人しか名簿を持っていないというのもあり、それが要因で安否確認をするのに時間がかかったとのことです。国のほうも指針を変えて、緊急の事態に限って許可を出すという流れになってきたという話です。
(聞き手)
他の地区はどういう対応をされているのでしょうか。
(伊藤様)
他も一緒だと思います。ただし、津波浸水地域では区長自身が避難所に避難したため、安否確認それすらままならない状況にあったと思います。何れにせよ、
マニュアルをあまり固く考えると動きが狭まってしまうと思いますし、個人情報など少しハードルの高い障害も柔軟に協議をしていかないと助けられる人も助けられなくなるのではないかと考えさせられます。今後の防災対策における問題や課題はこのようなところだと思います。