(聞き手)
これからの多賀城市の
復興に関して、お考えやご要望はありますか。
(柴田様)
市役所では、
市民からご意見やご要望をすでに、沢山聞いていると思います。平成24年の秋に、多賀城市内を地域ごとに分けて、市職員が出向いて
市民の人たちと懇談して震災を振り返り、意見や要望などを取りまとめる事業がありました。
私も出ましたが、いろいろな要望が出ておりました。私もそこに出されている事がそのまま、生の要望なのだと思います。
私は後世にどう伝えるかを考えると、
学校教育の中できちんとした
防災教育のカリキュラムを設けて、時間を掛けて徹底して教えていく事が大事だと思っています。
私自身、宮城県沖地震を経験しても30年が経ち、忘れてしまったように、今回の地震や津波も、経験した人が生きている間はその経験が活かされるかもしれませんが、経験した方がいなくなってしまった時、または50~100年後にはどう伝わるかという事を考えると、難しい部分があるように思います。したがって、それらを徹底して
教育の中で伝えていく必要があるのではないでしょうか。
岩手県釜石市では小中
学校に3000人ほどの児童・生徒がいたにも関わらず、1人の犠牲者も出ませんでした。それは群馬大学の片田先生が、徹底的に
防災教育をしてきたからなのです。その指導があったため、一人ひとりが自分の意志で高台に逃げ、無事でした。
人間というのは、自分の生きている間には大きな津波は来ないとか、自分の住んでいる所は大丈夫だとか、そのような意識がどうしても働きます。私は折に触れ、日本列島に暮らしている限り、
リスクはどこにでも沢山あるのだと思っています。
例えば地震、水害、噴火、雷、津波、竜巻、いっぱいあります。それでもやはり、人というものは、自分だけは大丈夫だと思ってしまいます。
少々話が飛びますが、観光
ボランティアとして、観光客の皆さんをご案内する場所に、多賀城政庁跡、つまり奈良から平安時代にかけて国の役所があった跡地があります。
その政庁の建物は、朝廷と、元々ここに住んでいた「蝦夷」と呼ばれた人々との間で起きた戦いで焼かれたり、震災の被害に遭ったりして、4回も建て直されています。
そのうちの1つが、貞観11年(869年)の大地震です。
その際、多賀城に津波が襲って1000人もの方が亡くなったという記録が『日本三代実録』にあります。
そのことをガイドでお話しするのですが、これまでは私たち自身が、昔話や伝説のように思っておりました。
ところが今度のような震災や津波を経験しますと、あれは昔話などではなくて現実に起こりうる事なのだと再認識し、それ以降は観光客に対して真剣に話をするようになりました。