(聞き手)
発災時の状況について詳しく教えてください。
(原様)
発災時は、入退院を繰り返していて介護が必要な妻と犬と私とで自宅にいました。
自宅には掘り炬燵があったので、そこに潜りこむような体勢で揺れが静まるのを待ちました。
私は地震が起きると数を数えてしまう癖があって、大抵は30数える前に収まるのですが、今回はなかなか止まらないので大きい揺れになると思い、妻に頭を炬燵の中へ入れるよう指示しました。
そのうちに揺れは収まり、表通りに近所の奥さんたちが出てきて、色々と喋っている声が聞こえてきました。
私も出て行って話をしたところ、津波が来るという話になりました。そのうち「津波だ」との声が聞こえたので、すぐに家に飛び込んで、歩行が困難な妻と犬を自宅2階に上げました。
2階に上がりきる手前で振り返ってみたら、もう階段途中まで水が来ていたので、そのまま2階の部屋に転がるように入りました。
そこで、ふと外を見たところ、家の前の道を、仙台港に陸揚げされた、まだナンバープレートも付いていない車が、まるで笹舟のように流れていきました。
翌日には、積み重なった車があちこちに見られました。
実はその後の3日分ほどの記憶が、点では思い出せるのですが、線では思い出せないのです。
比較的鮮明に思い出せるのは、
区長として自分の町内の被災状況を、近所の役員さんと手分けして回ったことが断片的に思い出せる程度です。
あまりの衝撃に、一種の記憶喪失になったのかもしれません。
(聞き手)
区長として苦労されたことは覚えておられますか。
(原様)
特にありませんが、14日ごろから、八幡の5区の
区長が毎朝、避難所になっていた八幡公民館に集まって、各地区の報告や
情報交換が続いていたことは覚えています。ただ、カメラも手帳もなく、映像での記録なども残していません。
(聞き手)
その集まりではどのようなお話をされたのでしょうか。
(原様)
自分の地区の状況がどうだったか、何を行なったか、地区の状況などを確認し、市職員と一緒に状況の報告などの
情報交換をしていました。八幡の全ての地区の状況を理解するのにとても役に立ちました。
また、給水車が何時に来るかというような話もしました。発災3~4日後から、私たちの地区にも救援の食糧が届くようになりましたが、最初の頃は量が非常に少なかったです。私の地区の方は、八幡小学校など市内各所に避難されていました。
そろそろ震災から3年が経ちますので、当時を改めて思い起こしてもらうためのアンケートを取ろうかと考えています。八幡5区のうち、私の区は若い人が比較的多いのです。昭和50年代にできた町で、平成3年に分区した当時は二百数十世帯、現在は五百六十世帯ほどです。若い方はほとんどお勤めに出ていて、震災が起きた時に地区に残っていたのは、高齢の方たちだったと思います。
(聞き手)
その中で何か苦労されたこと、大変だったことはありますか。
(原様)
機械的な生活をしていたような気がします。朝起きて、水がないのでウェットティッシュで顔を拭き、
区長会議に出ていました。
毎日朝・夕の2回、八幡公民館に届けられる食糧を配布して、それ以外の時間は、津波でだめになった家財道具の廃棄をし、夕食を食べて寝る毎日でした。電気もなかったので、規則正しいと言えば規則正しい生活だったのかもしれません。
(聞き手)
在宅避難者へも支援物資を配っていたのでしょうか。
(原様)
はい、昼・夕の2回50~60人の皆さんに配布しました。ただ、支援物資は本当に不足していました。最初は人数分のおにぎりすら届けられませんでしたので、1世帯1個と決めて配布しました。「足りないのは分かりますが、また半日経てば食糧が届くから、半日ずつ命を繋いでいきましょう」と言って配りました。
区長として強制的に決定しましたが、それくらい強引に判断しないと駄目だと私は思いました。
それからもう1つ、友人たちが2日後くらいから様子を見に来てくれて、支援を受ける事ができました。
また、少しばかりですが、自分でも、乾パンや飲み水・缶詰の
備蓄があったので、比較的心強い思いでいられました。
(聞き手)
地区の住民の方へは、どのように物資を配ったのでしょうか。
(原様)
地区内は歩いて配りました。班員に口頭で伝えて、それを、他の人にも広めてもらうようにしていました。
毎日言って回っていたわけではありませんでしたが、皆さんが自然と集会所へ集まって来ました。
伝達事項は、自分の家の生け垣に張り出しておきました。
できることを確実にやることと、できないことにはエネルギーを消耗させない、その程度のことしかできませんでした。
家族内に要介護者を抱えているということが、少しだけ大変でした。
地域の防災を考えるのであれば、何と言ってもまずは
自助努力です。その次に「向こう3軒両隣」で
共助すれば、あとはその輪がどんどん広がります。