防災・減災への指針 一人一話

2013年11月16日
地域コミュニティが直面する諸問題
多賀城市 桜木北区長
江口 宏さん

仮設住宅の管理の問題

(聞き手)
 震災直後の行動や出来事で、何か印象に残っている事はありますか。

(江口様)
当時の区長が避難所に避難していたため、津波で被害を受けた集会所の清掃の件など、どのように動けばよいのかわかりませんでしたが、地区役員の総務部の方に協力していただいて、ボランティアの方々に協力をいただけるよう働きかけ、総勢80人ほどに来ていただくことができました。集会所の清掃には、述べ1カ月位かかりました。
桜木北区はもとより、桜木地区全体に対して、支援などが物足りないと感じる部分はありましたが、特に苦情もありませんでした。

(聞き手)
桜木北区の方で、仮設住宅で生活されている方は多いのでしょうか。

(江口様)
多賀城公園仮設住宅には桜木地域の方が多く入っています。

地域コミュニティが直面する危機

(聞き手)
震災後、震災がらみで苦労された事など、区長の立場として、何かありましたか。

(江口様)
 町内会という自治組織をまとめていく大変さを改めて思いしらされています。町内会への加入が減ってきています。
町内会費を納めない方もいらっしゃいますので、今後納めない方が多くなる事が当たり前の時代が来るのではないかと心配しています。
時代の流れだと思いますが、きちんと納めていただきたいと思っています。今は町内の役員を進んで引き受ける人はいません。無理やり押し付けて行うような状態になっていくことが心配です。
意見を言う人や、人の面倒を見る人は少なくなっていると思います。いないという事ではないと思いますが、役員のなり手を見つけるのは大変です。
以前、防犯関係のお仕事に80歳まで携わっていた方が、誰も後任になる人がいなくて困っていると嘆いていました。
次の人に引き継いでもらう方を決めるのは大変です。一年も続かず辞められる方もいます。
また、区長は、町内会長という顔もあり、一人で何役もこなさなくてはなりません。
桜木地区の防犯対策なども行っています。
私は昔から、会社でも、単独の仕事をしていました。ですから、1人で作業するのは苦痛ではありませんし、やらなくてはいけないことはしっかりとやります。
若い時は夜勤もあり大変でしたが、それが、今の支えになっているのかもしれません。

(聞き手)
江口さんが経験された震災のお話をお聞かせください。

(江口様)
昭和35年のチリ地震の時は社会人1年生でした。
早朝、仕事をしていた時に、塩釜港道路上に船が乗り上げたという話を聞きました。
当時は24時間勤務をしていた頃です。
今回の地震の直後、多賀城駅前を通り自宅へ戻りました。
自宅前は川ですので、川の様子を見てみましたが何も変化がありませんでした。
そして、妻から、私の姉が住んでいる実家が心配だから、様子を見に行ってほしいと言われ、車を置いて自転車で向かう事にしたのです。
実家へ向かって5分ほど経った頃に、たくさんのクラクション音が聞こえて来ました。
道路からだと土手が邪魔で川の状態などが見えなかったので、笠神新橋まで行くと、橋の下まで水が上がって来ていました。
八幡方面には行けなかったので、仙塩病院の方へ回ったところで、後ろから水が音を立てて迫って来ました。
病院の後ろ付近に堀があったのですが、そこまで水が勢いよく流れて来ました。その事は覚えています。
大声を上げて、病院の裏まで走って行った時に、子どもを連れた親子に遭遇しました。
私が大声を上げている姿を見て驚いたと思います。
その後すぐ、道路に水が上がったのではないでしょうか。
そして、病院の階段の踊り場へ上がり、そこで一晩、夜を明かす事になったのです。
翌朝7時ごろに仙塩病院を出て、笠神新橋方面に向かいました。
あの時には仙塩病院さんには大変お世話になったので、「ありがとうございました」と、この場をお借りしてお伝えしたいです。

非常時の行動と判断の難しさ

(聞き手)
過去の災害の経験は、今回の震災に役立てることができましたか。

(江口様)
経験を活かすというよりも、私たちの町内では、災害時のために、しっかりと防災訓練をするように心掛けていました。
ですが、その想定が現実となると慌ててしまいました。
無意識に皆さんが、別な行動を取ってしまいます。
人間は非常事態に陥ると、おかしな行動を取ってしまうようで、山を上がって行けばいいところを、海の方向に向かってしまったため、無責任な行動をしたと言われることもあります。
無意識とは怖い事です。

(聞き手)
 震災前後で、地域コミュニティ活動や住民との繋がりに変化はありましたか。

(江口様)
震災前、多賀城市で防災訓練を行う時には、朝8時30分に放送をして頂いて訓練を行いました。
地区を3カ所に分けて、多賀城小学校の体育館まで避難をしました。その時は総勢100人ほど集まりました。学校の校長先生にも参加して頂きました。
それから、防災倉庫の備蓄品は使える状態であるかどうかの確認もしました。
そうした訓練を行っていましたが、やはり現実となると同じ行動が出来ませんでした。
震災時は皆、自分でその場の状況を判断して単独で行動していたと思います。
今回の震災で多賀城市では180人以上の方が亡くなったと聞きましたが、私は御遺体をまったく見ていません。例え、泳ぎに自信があっても、津波ではどうにもならなかったのでしょう。

(聞き手)
地区で集まれる、夏祭りを再開する予定はありますか。

(江口様)
道具は、流されて一切ないですが、頑張って行うつもりでいます。
今まで一緒にいた地区の役員さんがすっかり変わったので、初期からの人は私しかいません。
ですから、心の準備なども必要です。
役員さんも初めてする事が多いと思いますが、私が色々と指示をするのではなく、自ら進んで活動して頂きたいと思います。
区長をしながら、町内会長も引き受けるのはとても大変です。
ですから、何かを決定する場合は呼んでもらいますが、あとは、なるべく自分たちで考えて行動して頂きたいと思います。
そう言えば、この前、「町内会の行事に誘われて来てみたら楽しかった」という記事が新聞に掲載されました。
そういう風に思ってくれた人がいたのだと分かり、うれしかったです。
最近、市役所の支援員の方たちや、社会福祉協議会の方たちにとても協力して頂いているので、良い方向へ変わりつつあります。
それと、家にばかりいると体が動かなくなるので、出来るだけ外に出て、皆さんと会話するようにと呼び掛けています。

(聞き手)
 多賀城市の復旧復興に向けて、何か考えや意見はございますか。

(江口様)
復旧、復興といっても、やはり多賀城市の予算だけでは賄えません。早く対処してほしいと言われますが、時間をかけてしっかり取り組むことが肝心です。後は、下水道の工事なども少しずつ進んでいるので、意外と順調にいっていると思います。

次の世代に伝えたいこと・託したいこと

(聞き手)
 震災を経験して、後世に伝えて行きたいことや教訓は何でしょうか。

(江口様)
地震や津波に対して、軽く考えてはいけないという事を伝えたいです。少し大袈裟だと思うくらいが丁度いいと思います。そうすれば、大した被害ではなかったというだけで済みます。対処しきれない被害が起こってからでは遅いのです。

(聞き手)
区長の立場として、次の区長さんや役員の方に伝えたい事はありますか。

(江口様)
今、新しく入った若い方に役割を託したいと思っています。
昔からの歴史は重んじないといけませんが、昔の型にはまらず、時代の状況を把握して、若い方ご自分の考え方を先に進めて頂くと嬉しく思います。今は情報化社会なので、一生懸命に勉強して参考にするしかないです。