(聞き手)
震災当時の対応についてお聞かせください。
(遠藤様)
宮内地区の工場が壊滅状態でしたので、本社のお客様及び事業部のお客様への
供給責務を果たすべく奮闘していました。
社長が陣頭指揮をとり、お客様に対しての
供給状況や材料
供給から生産工程などを命令されて動いていました。当然、東北事業部は工場が被害に遭い待機状況でしたが、工場の2階にあったデータ関係を本社工場へ移管し、それをもとに製品を
供給する準備をしていました。
(聞き手)
市民の方との関わりはありましたか。
(遠藤様)
多賀城市や工業団地と、
物資などを体育館や避難所等々に提供するという協定を結んでいましたので、本社から送られて来た救援
物資について、従業員の分を確保した上ですが、余剰分を多賀城市に
供給しました。ブルーシートより段ボールが重宝され、梱包材としてだけでなく、床や壁の代わりに使えて、寒さもしのげましたし、このような
物資を送るといった面で市民の方と関わっていました。
(聞き手)
対応の中でうまくいったことがあればお話ください。
(遠藤様)
うまくいったことは、お客様に対して早急に対応でき、滞る事なく
供給が出来た事です。それを受け、平成24年5月に、ソニー様からは、お互いに被災者という立場であったのですが、感謝状を頂きました。
(聞き手)
うまくいかなかったこと、大変だった事はありますか。
(遠藤様)
機械が壊滅状態で、設備が整っていなかった事が大変でした。
また、救援
物資を持っていき皆さんに配るのですが、こちらで必要だろうと揃えたものと、現地で欲しがっているものが一致せず、苦労したという事はありましたが、大体は
供給出来たと思います。
(聞き手)
多賀城市内へは、いつから勤務されていますか。
(遠藤様)
平成元年5月に社員として東北事業部に入社しました。
(佐々木様)
多賀城市に来たのは、昭和52年くらいだと思います。
(聞き手)
震災後の従業員数は何人くらいでしょうか。また、再開した時期はいつ頃だったのでしょうか。
(遠藤様)
31~32人です。再開したのは平成24年5月の連休明けです。
(聞き手)
発災前に、備えや対策はしていましたか。
(遠藤様)
震災前の地震対策は、避難経路の確認や防火訓練など基本的な事で、備蓄はしていませんでした。
(聞き手)
他に経験された災害はありますか。
(佐々木様)
水害に遭った時は大変でした。まわりの道路が冠水して車が出られない状態でしたので、従業員と会社に泊まった事がありました。