(聞き手)
東日本大震災以前の災害の経験と、災害への対策や備えについてお聞かせください。
(内海様)
東日本大震災の前に、宮城県北部連続地震を体験しています。この辺りはさほど被害が出ませんでしたが、直下型の地震という事もあり、東松島や県北地域などの内陸部が大きな被害を受けました。
私たちは、常に地震災害の被害を想定していますが、いつどのような被害が起きるかは分かりません。その為、グループホーム
入居者とショートステイ、デイサービスをご利用されている方と職員の数を合計し、1日3食3日分の食事と水を
備蓄していました。
震災時に活きた事は、食事を備えていた事と、昔ながらの石油ストーブを使い、完全ではないにしても暖を取れた事だと思います。
お湯を沸かす事ができましたし、灯油もタンク4台に
備蓄してありましたので、そこから確保する事もできました。ですが、長期間に渡って停電と断水が続いた事は今までにない経験でしたので、不安な毎日だった事を今でも覚えています。
幸い、松島町桜渡戸にあるこの
施設では地震被害がほとんどなく、花瓶が一つ割れた程度で、
入居者の方も職員も怪我をせずに済みました。ここは内陸部でしたので、沿岸部で津波被害が起きている事を私たちは知りませんでした。ラジオで情報収集をした時に分かりました。その時は確か夕方の5時くらいだったと思います。
この辺は防災無線が近くにあり、そこから大津波警報が発令されたという放送を聞いたので、私たちはここで何が出来るのかを考えました。そして、まず
入居者の安全確保をしました。
家族のいる職員たちは自宅に帰って家族の安否を確認したいという事でしたので、夕方5時半くらいに帰しました。この判断が危険かどうかはその時点では正直分かりませんでした。
既に外は真っ暗になっていたと思います。それから、その場に残った職員と駆け付けてきた職員とで、備えていた食事と水を取り、フロアに雑魚寝をして夜を過ごしました。
(聞き手)
備蓄は最低限3日用意しているなど、防災対策はかなり意識していたのでしょうか。
(内海様)
そうですね。
備蓄品の保存期限が5年で、水は6年だったと思いますが、その期間内で
防災訓練をした時に、古くなってきた物を使って炊き出しなどをしていました。
後は、地域の方と交流する機会がありましたので、試食会を開いて食べてもらうなどしていました。あくまで「備え」という事で、使用するような事態にならなければ良いなという感じでした。
ただ、準備していなければ、大変だとも思い、
備蓄していました。
(聞き手)
防災訓練は年に何回ほど実施されるのでしょうか。
(内海様)
毎年3月から11月まで毎月行います。冬場は外に避難誘導するのが難しいので、消防と
連携して、ホットラインを用いる通報訓練を年に3回行っていました。
他にも、防災ビデオを見て勉強する鑑賞会は、職員だけでなく、
入居者の方、利用者の方も交えて開いていますし、応急処置や心肺蘇生法、AEDの取り扱い方の研修を12月~2月の冬場に行っています。やはり命をお預かりする仕事なので、私たちに出来る事は常日頃から備える事だと思います。
実際に災害が起こると慌ててしまうかもしれませんが、訓練は必要だと考えています。
(聞き手)
発災時はどちらにいらっしゃったのでしょうか。
(内海様)
発災時、私はこの
施設(松島町桜渡戸にある認知症高齢者グループホーム桜の家)にいました。
(聞き手)
ここは海から離れた場所ですが、揺れた時に津波が来るという予感はありましたか。
(内海様)
あの時は、正直に言うと津波の予見はしていませんでした。揺れが収まって停電と断水になりましたが、1時間以上停電していたという記憶がありません。しばらく待てば電気は復旧するだろうと、浅はかな考えを持っていました。
津波に関しても、チリ津波やスマトラ沖地震での津波が報道されていた事は知っていましたが、まさか日本でこれだけの被害を及ぼす津波が起こるとは全く想定していませんでした。
沿岸部にお住まいの方でも、津波が来ると考えていなかった方が多くいらっしゃったと聞きます。
ですから、今回の災害が教訓となり、今後活かされなければならないと思います。
過去の震災被害の話を聞いていれば津波が来ると予測出来たかもしれませんが、私はそういった危機感は全くありませんでした。
余談になりますが、昭和61年に吉田川が台風で決壊し、現在の大崎市鹿島台の田んぼが水浸しになった事があります。その時、友人の父親の車に乗せてもらって、その様子を見に行ったのですが、それ以来、私は常に台風で水害になると、その時の光景を思いだします。
今も大雨の時には強く意識するようになりました。
「ここは大丈夫だろう」と思っていても、いつ何時に水量が増えて土砂災害になるかは分かりません。
また、この
施設の橋の向こう側が土砂災害の警戒地区になっているのですが、この
施設も地域的に近いので、もしかすると土砂災害に遭う可能性があるかもしれません。
話を戻しますが、震災当時は、避難するといっても、避難場所がなかったので、ここに留まるのが最も安全だと判断して動きませんでした。
(聞き手)
入居者の皆さんは、ある程度落ち着いておられたのでしょうか。
(内海様)
落ち着いていました。動揺していた利用者の方も中にはいらっしゃいましたが、どちらかと言うと職員の方が動揺していたと思います。