(聞き手)
生徒の
安否確認と
心のケアなど、さまざまな問題もあったと思いますが、その中でうまくいった点、いかなかった点は何でしょうか。
(村岡様)
建物が壊れずに済んだので、それほど混乱に陥らずに過ごせた点が良かった点の一つであると思います。ロッカーの倒壊などがなく、スムーズな移動・避難が出来た事による落ち着きもありました。今言ったようにトイレが使えた事と、不十分ながら自家発電が出来ていた事が良かった点です。
逆に難しいと思った事は、
生徒を親に安全に引き渡す方法でした。
親御さんが迎えに来てくれればいいのですが、そうでない
生徒の安全をどのように確保しておくかは、これからの大きな課題になると思っています。
中には
生徒が「俺は大丈夫だから帰る」と帰ってしまい、保護者と行き違ってしまったという事が、特に宮城野校舎で起こりました。
宮城野校舎では、校舎に
生徒が留まれなかったという状況だったからなのですが、これも大きな留意事項になるでしょう。
(聞き手)
鈴木先生は、どのように感じられましたか。
(鈴木様)
私はまず、
生徒の所在
把握が困難だったと感じました。
学校内が暗く、
生徒か先生かもわからない中、手さぐりで誰がどこに何人いるのか確認し、教室を配分するだけでも大変な事でした。
男女の
生徒が何人いるのか確認するだけでも相当な時間が掛かってしまい、先生方に走り回ってもらって、どうにかこうにか一覧表を作って泊まる教室の割り当てをしました。
時間は掛かりましたが、何とかうまくできました。
翌日になると、今度は携帯電話が繋がらず、
生徒の親御さんと連絡が取れませんでした。仙台育英学園では幸いな事にバスを持っているので、それに分乗させて帰す事になりました。
その時に、誰がどのバスに乗って、どこへ行ったかを仕分けなければいけませんから、そのための名簿作りをしました。
教室ごとに名簿を作ってもらい、バスごとに配分して、運転手に名簿を持たせて、確実に帰ったのか確認させました。
これが後々、非常に役に立ちました。
まず、家が流されてしまったなどでご家族がどこに行ったかわからない
生徒には戻って来てもらって、寮で過ごしてもらいました。
最終的には50~60人ほどが戻って来ました。
また、これは数日が経過してからの話になるのですが、親御さんが
学校にいらっしゃったので、何があったのか聞いたところ、「うちの子どもが帰って来ない」とのことでした。
確認したところ、バスで既に帰っていたとわかったので、それをお伝えしたら、親御さんは大変喜んでおられました。「生きていたとわかっただけでも嬉しい」と言っておられました。
後から聞いた話では、数日間ほど互いに行き違っていたそうですが、なんとか会えたとの事です。
名簿を作るのは大変でしたが、非常によく機能してくれたと思っています。
(聞き手)
やはり高校生という事で、広範囲から通っていらっしゃるのでしょうね。
(鈴木様)
はい、そうです。私立の場合は県外からも通学しているほどなので、相当な広範囲に散らばっていて、送り届けるのも大変でした。
(聞き手)
当時は
道路状況も大変な状態だったのではありませんか。
(村岡様)
安全走行の確認が取れないと出発させられないのです。
事実、発災翌日の3月12日の9時に第一陣が出発するという計画を立てたのですが、
道路の安全が確保出来ているか確認が取れず、予定通りに出発させる事が出来ませんでした。
特に石巻方面は、津波で非常に大きな被害が報道されていたので、確認も大変でした。