(聞き手)
JTBさんでは、震災以前には、どのような対策や備えがしてあったのでしょうか。
(革島様)
全国のJTBの支店で横の連携を取り、
安否確認を最優先するような体制を取っています。
避難訓練などは、各社が当たり前のようにやられているのではないかと思いますが、地震だけではなく、台風などの影響で海外から帰国できないお客様もいます。そのため、緊急の場合は現地の支店等とやり取りをするようにしています。
9.11のテロが起きた際はかなり混乱しまして、全世界的に飛行機などが止まってしまいましたので、その国それぞれの
対応をさせて頂いたというのは、一番大きなところだと思います。
そのため、修学旅行などでお連れする際は、宿泊されるエリアのハザードマップ、あるいは
避難場所や病院の所在地などを、全ての学校様、あるいは添乗員、支店の方で共有をしまして、体制を整えるような形になっています。
(聞き手)
防災訓練はどのような形で行われていますか。
(革島様)
震災後は何度か行い、メールによる
安否確認の訓練を、抜き打ちで定期的にやっています。
これも社員全員が日本にいれば良いのですが、そうでない場合もあります。
しかし、そういった訓練に対する感度は上がってきています。
(聞き手)
東日本大震災発災時の状況と、そこからの
対応をお聞かせください。
(革島様)
発災の2日前にも地震が起きて、その際も津波警報が出たのですが、その時は利府のグランディ21で約1万5,000人を集めたイベントをしている最中でした。
お昼くらいに揺れたのですが、始まる前に
避難経路などの確認をやっていたので、事なきを得る事が出来ました。
3月11日は社内で被災をしました。
私たちの会社は50人ほどいるのですが、当日、30数名が営業で外に出ていたため、まずは
安否確認をしました。
発災は金曜日で、3連休直前でした。
電気などのインフラが全部止まりました。
ですから、週明けの火曜日までに、まず社員の家庭での生活を取り戻す事を先決にし、ある程度片付けや準備が済んだ者から順次、出勤するようにしておりました。
すべてのツアーは自動的にキャンセルになってしまいましたので、「飛行機や空港の状況はどうなっているのですか」「東京に行きたい」など、お客様からはいろいろな問い合わせを頂いておりました。
(聞き手)
当初の揺れはどうでしたか。
(革島様)
初めての経験で、電気も通じず、どういう状況なのか把握出来ませんでした。そのため、津波があれほどまでに酷かったというのも、全くわかりませんでした。
翌朝、携帯電話でニュースを見ると、閖上に200人の御遺体があったという情報が流れ、そこでようやく把握出来たという状況でした。
(聞き手)
揺れが収まった間に、津波が発生するという予感や予見はありましたか。
(革島様)
2日前に津波警報が出ておりましたので、直下型でない限り、津波は来ると思っていましたが、今回は想像をはるかに越えた津波でした。
(聞き手)
業務上でダメージを受けた事はありましたか。
(革島様)
現在はほとんどをコンピューターで管理しているものですから、電気が止まってしまうと、大半のデータが使えなくなってしまいます。
東北に来られるお客様や、こちらから出発する旅行などは交通機関がマヒしておりますので、自動的にキャンセルになりました。
私たちの重要なパートナーであります旅館さんやホテルさんなどの、被害状況を確認しなければいけませんでした。
JTB東北本社には仕入れセクションがあり、旅館さんやホテルさんなどを取りまとめている所があります。そちらが施設の状況を逐一確認していました。
私たちは、施設の状況を一覧にまとめていました。
暖房を電気で動かす旅館等は駄目だったのですが、重油のボイラーをたいている所はお湯が出たとか、泊まって頂いてもリネンが間に合わないなど、現地でしかわからない情報がありました。
その後、電力関連や住宅関連の様々な方たちが仙台に復旧の応援に入られたため、宿泊の手配などもさせて頂いていました。
発災後10日目くらいから急に忙しくなりました。ホテルさんの個々のコンディションはどういう状況なのかを、実際に副支店長がレンタカーを借りて現地に見に行っていました。しかし、ガソリンも無かったので、場所によっては確認出来なかった所もありました。