防災・減災への指針 一人一話

2014年01月23日
応援自治体職員の声 ――栃木県――
栃木県職員 環境森林部 廃棄物対策課 課長
湯澤 元浩さん
栃木県職員 環境森林部 廃棄物対策課 一般廃棄物担当 災害等廃棄物対策チーム 主査
髙嶋 英機さん

水害の歴史と東日本大震災の被害

(聞き手)
栃木県の災害の歴史について、概略的にお話を頂ければと思います。

(湯澤様)
本県の特徴のひとつでもあるのが、比較的災害の少ない県というところですが、近年は、大雨による河川の氾濫などの水害が多くなっています。
昭和61年には、県南東部の茂木町で大雨により那珂川が氾濫する水害が起こりました。平成10年には、県北部の那須町で、1年分の雨が1週間前後で降るという豪雨が発生し、那珂川支流の余笹川が氾濫する水害が起こりました。水害以外では、平成23年に、東日本大震災の震源に近い県北東部に被害がありました。また、平成24年、25年には、県東部と県北西部で竜巻による被害も発生しています。

(聞き手)
栃木県における東日本大震災の被害を教えてください。

(湯澤様)
本県は、大谷石が特産品で壁や蔵に使われておりますが、東日本大震災では、この大谷石の塀が倒れた被害が多くありました。全体では、県内で22万トンのがれきが発生し、震災後の半年間は、がれきの撤去などに追われました。その後、平成24年始め頃には、がれきの7~8割について、何とか処理の目途が立ちました。

発災時の対応

(聞き手)
東日本大震災が発生した直後のお話を聞かせていただけますか。

(湯澤様)
私が居た場所は県庁舎11階で、比較的建物の上の方だったため、ゆっくりと大きく揺れました。最初の5~10秒は「結構大きい地震だな」というくらいでしたが、全く収まらずに、「これはかなり大きいよ」とか「本当に大きい」という話になりました。私の居た庁舎の南側の前には大きな通りがあり、最初は走っていた車もそのうちに止まりました。少し離れたところにガラス張りのビルがあり、通常はそのガラスの面に景色が映っているのですが、そのガラスが歪んでおり、「割れはしないかな」と思いながら見ていると、そのうちに縦揺れから横揺れになり、机の上に置いたものが幾つか落ち始めたので抑えていました。
下層の1階、2階くらいの人たちは、県庁前の広場に避難をしましたが、我々は11階だったので、取り敢えず外には避難をせずに、建物の中で揺れが収まるのを待っていました。本当に長くて、ちょっと気分も悪くなるような感じでした。
あれだけ揺れた経験は初めてでしたし、とにかく大変なことが起こったと思いました。その後は、とにかく情報収集です。テレビを付けてみたら、仙台の南の方でビニールハウスが黒い津波で飲み込まれていく映像が流れていました。本県もかなり揺れたし相当被害も受けているだろうというので、状況の把握に動きました。公共交通機関が止まってしまい、自宅に帰れない者が出たこともありましたが、待機ということで、私の課でも3~4人が体制を組んで残りました。それから1週間くらいは夜もずっと情報収集をしていました。余震もあり、落ち着かない日々を過ごしました。

がれき処理と放射能の問題

(聞き手)
発災から約1年後にがれきの広域処理をするという決定に至るまで、どのような動きがあったのでしょうか。

(湯澤様)
平成24年の始め頃には、県内のがれき処理の7~8割について処理の目途が立ち、1月、2月頃になってくると世の中にも広域処理の動きが出てきました。東京都などが受入れをいち早く表明をし、他の県でも動き始めました。本県も被災者の受入れはしていましたけど、県内の災害廃棄物処理が完了していなかったので、最初は広域処理に協力できるのか心配していました。でも、本県でも何かやれることあるだろうとのことで、「頑張ってやってみよう」という話になりました。
平成24年3月に国から広域処理の要請がありました。しかし、本県には、県直営の最終処分場がありませんので、どうしても市町に委託しなければなりません。そこで県庁内部の意思決定を受け、当時の部長とも相談をしながら、3月13日に市町の意向調査を始めたのがきっかけになります。
意向調査の結果は、全26市町のうち、「受入れ困難」が3市町、「受け入れの検討の余地なし」が1市町、足して4市町が受入れできないとの回答でした。その他の22市町が「検討中」もしくは「検討の余地あり」という回答でした。本県の課題として、焼却施設はあっても自前の処分場が無いという市町が半分程度あるということでした。あとは、やはり放射能が一番の課題でした。
国から話があったのは、福島を除く岩手や宮城のがれき処理に協力してほしいとのことでした。県としては、やはり地元との調整が先だろうということで、国には「受入れ実現に向けて取り組む」とお答えしました。それから、市町の担当者を対象とした広域処理説明会をやりました。その時には、放射能を心配するようなホームページや新聞報道があり、ある街では搬入を阻止されたようなことが報道されていたので、「本当に放射能は大丈夫なのか」というところが課題でした。

(髙嶋様)
市町に対しては、一度、全体の説明会を開催し、そこで広域処理とは何かという概略を説明しました。その後に、それぞれの市町と個別に受入れに向けて協議しました。

壬生町長の英断

(聞き手)
 協議を行い、どのような結果になったのですか。

(湯澤様)
その当時の県内の状況を整理すると、やはり県北の那須町や那須塩原市、大田原市、日光市辺りまでは、空間放射線量が比較的高く、除染の対策などに追われていたところもあり、県の北西部は手が回らない状況でした。それに加えて、平成24年5月の連休に県の南東部にあたる真岡市、芳賀町、益子町辺りで竜巻災害が起こり、その竜巻の対応に追われている状況もありました。そこで、県央地域で放射能の影響が比較的少なく、災害廃棄物も比較的少なく、自前の最終処分場を所有しているといった条件に合ったのが宇都宮市と壬生町の二つでした。
壬生町は比較的小さい町ですが、焼却施設と最終処分場のどちらも揃っていたというのが一番大きな条件でした。あとは、鹿沼市が焼却施設が古いので焼却には協力できないが、別のところで焼却した灰なら市の最終処分場で受け入れますよという話でした。他にも、県南の足利市、佐野市、栃木市、小山市も手を挙げてくれましたが、そこは焼却施設だけなので、焼却灰の持って行き先が確保できませんでした。そこで、鹿沼市とマッチングさせることも考えましたが、条件等で調整がつかず実現しませんでした。
まずは焼却施設と最終処分場が確保されているといった条件の揃っている宇都宮市と壬生町とで進めてみようとのことで、その2市町の住民説明に入っていったというところです。
5月の連休頃から宇都宮市と壬生町の地元住民に説明に入りまして、「私たちも被災地に行って空間放射線量を測ってみましたが、この辺と変わらないし、むしろこの辺より被災地の方が低いですよ」「受け入れる災害廃棄物は、放射能濃度の低いものだけですよ」ということを何度も説明しました。その後、壬生町の地元住民の方々から理解が得られたので、まずは災害廃棄物を試験的に焼却をして、結果を見てみましょうということになりました。そこで、平成24年9月18~19日の2日間で試験焼却をしました。
試験焼却ができたことで、安全だというデータを示すことができ、結果的には、受入れに向けて8~9割の理解は得られたかなと感じました。それまでは、感情的な側面から、「そうは言っても、放射能はゼロではないだろう」とか、「1台1台の災害廃棄物の放射能濃度を測らないといけないのでは」とのご心配の声もあったりして、安全性を示すことのできる試験焼却は有意義でした。
最終的に、壬生町長の英断と、町職員の熱意があったので、受入れが実現できたと思います。

県内市町による視察の実施

(聞き手)
試験焼却の前に、多賀城市には行かれましたか。

(湯澤様)
最初に市町への広域処理説明会をした後、市町担当者から被災地の状況が分からないという意見が多かったので、県がバスを1台用意し、希望者を連れて被災地を案内しました。検討中の市町も含めて行きまして、その時は石巻市と女川町の辺りを見て回りました。その後、もう一度、県だけで被災地を見に行く機会がありましたが、そのときに環境省から視察先として多賀城市を紹介され、選別処理施設の状況や処理された木くずを見てきました。
その後、私が多賀城市へ行ったときに、仙台港近くにあるがれきの選別処理施設へ行きました。その途中、ここまで津波が来たという説明を受け、実際に見せていただきましたが、その頃にはかなり綺麗になりつつあって、一箇所にゴミが積んであったというところですね。「そうか。浸水はしたけど、建物への被害はそんなに酷くはなかったのか」と感じるほどでした。実際には、仙台港付近の建物は、とても激しい被害を受けたと聞いています。

(聞き手)
受入れが多賀城市に決まったのはどのくらいのことですか。

(湯澤様)
多賀城市の災害廃棄物を受け入れると決まったのは試験焼却の前です。私は宮城県から委託を受けるイメージでいたのですが、国から「栃木県で多賀城市のものを受け入れるのはどうですか」という話を受けました。その後、7月下旬くらいに、「多賀城市の木くずを実際に見たらいかがですか」ということで多賀城市へ行きました。壬生町の焼却施設の処理能力を考慮すると、量的にもちょうどいいというところもありまし、放射能濃度も非常に低くて、ほとんど検出されていないことも、受け入れの弾みとなりました。一方で、多賀城市からの直接委託では広域処理にならないのではないか、という声も内部からありましたが、実際困っているのであればやろうということになりました。

(髙嶋様)
環境省から多賀城市を紹介され、それで見に行ったのが最初のお付き合いです。その後で受け入れが具体的になり、多賀城市で実物を見てみようとなったのが7月下旬くらいです。
木くずを少しもらってきて、それを住民説明会で見せ、焼却するのはこんな物だというのを説明して、最終的に9月の試験焼却にこぎつけることができました。

(湯澤様)
やはり実際に木くずを見せたり、放射能濃度を測ったりすると納得してくれますね。それなら試験焼却もやってみるかという話になりました。
8月7日に環境省から災害廃棄物処理工程表が出され、その後に試験焼却に向けて住民への説明会を開きました。自治会ごとに説明をしましたが、それを担当2名と私の3人で全部回りました。時期がお盆前後の3日間で、地元の公民館で夜に開催しましたが、エアコンや網戸が無くてとても暑く、セミやカナブンが飛んでくる中で汗を流しながら2時間半やりました。細かいところは他の人に説明してもらって、私は挨拶と質問に答えるというような役割でした。こちらは一生懸命に説明しているのですが、参加された住民の中には、かなり不安を持っている方もいるという状況でした。

焼却灰に対する住民の不安

(聞き手)
 大変なご苦労をして、説明していただいたのですね。説明会には、どのような方々に集まっていただいたのですか。また、住民の皆様には、どのような不安や疑問があったのでしょうか。

(髙嶋様)
壬生町の焼却施設と最終処分場というのは、車で20分程度離れていますが、その焼却施設の周りの自治会と、市町村境なので隣の鹿沼市の自治会にも説明し、加えて最終処分場の周りの自治会にも説明を行いました。

(湯澤様)
焼却は、バグフィルターで放射性物質が除去できるということが世間的にも周知されており、これまで排ガスから1度も検出されていないというので、ある程度納得してもらいましたが、やはり最終処分場の方は、焼却灰がずっと残るというところが気にかかるようでした。

(髙嶋様)
壬生町の家庭ごみより多賀城市の木くずの方が放射能濃度は低いという説明をしても、「微量だとしても、木くずが来てしまうとこの最終処分場に入る放射能は増えてしまう」という、線量ではなくて総量の議論をされてしまうし、「壬生町の家庭ごみにこんなに放射能があるのか」という議論に飛び火してしまう部分もありました。

(聞き手)
一つの自治会からは、大体何人くらいずつ来られていましたか。

(髙嶋様)
20人前後です。焼却施設の周辺の方々からは、概ね試験焼却に理解を得られました。最終処分場の周辺の3つの自治会の方々には、3日連続で説明会を開催し、夕方7時くらいから9時前後という感じで、2時間半くらい説明を聞いていただきました。

(湯澤様)
「何で壬生町が処分してやるのか」とか、「県内で他にどこが広域処理をやるのか」という意見をいただいた際、まずは壬生町から始めたいと言うと、「何で壬生町が最初なのか」、また、そもそも、「広域処理はやらなくていいのでは」という意見もありました。
壬生町の担当課長は、住民説明会などに全部お付き合いしてくれましたし、本当にお世話になりました。

線量を具体的に示しての理解

(聞き手)
実際に12月3日から受入れを開始する際に、反対運動や、搬入トラックが通るルートに対しての問合せなどはありましたか?

(湯澤様)
それはありませんでした。試験焼却のときにも、焼却施設の周りの3地点、敷地境界4地点、トラックが来る前後の空間放射線量を測り、それを掲示してお知らせしました。木くずを燃やしている間も1時間毎に測りました。そういうことを丁寧にやって、すべてデータを掲示し、何も変わらないという結果を見せました。地元の方々が、見にいらっしゃいましたので、そのような結果を丁寧に説明しました。試験焼却のときには、それで本当に納得してくれたという感じです。
測定結果も自治会の回覧で月に1度、回してもらいました。何トン受入れをしたのか、放射能濃度も木くずと焼却した灰も分析をしました。その辺については、逐一、結果が出たら回覧板でお知らせしました。

(聞き手)
栃木県のホームページでも常に公開をしていたのでしょうか。

(髙嶋様)
測定結果は、ホームページでも公開をしましたが、どちらかというと効果があったのは回覧板でした。ホームページだと見られないお年寄りの方も多いので、回覧板なり全戸配付なり、紙でいかに分かりやすく問題ないということを理解していただくかが重要でした。

県知事からの感謝状と多賀城市長からの感謝状

(聞き手)
今回、壬生町が受入れをされた時に、他の市町から何か反応はありましたか?

(湯澤様)
少し意見はありましたが、そんなに大きな反応というのはありませんでした。状況を確認するくらいで、あとは、壬生町の取り組みを称賛する声が多かったです。このような状況で「よくぞ受け入れた」という、お褒めの言葉が結構ありました。

(聞き手)
そこで、栃木県知事からの感謝状が壬生町の自治会に贈られたというかたちとなったわけですね。

(髙嶋様)
受け入れに当たっては、自治会長さんが地域の意見を取りまとめ、調整していただいた部分がありました。

(聞き手)
そして今年(平成26年)1月8日には、多賀城市の菊地市長から壬生町に感謝状が贈られましたね。

(湯澤様)
ちょうど、多賀城市長が壬生町の賀詞交歓会に出席され、そこで、多賀城市長から壬生町長に感謝状が贈呈されました。また、県にも感謝の意を表したいとのことだったので、多賀城市長に県庁までお越しいただき、感謝状を頂戴したところです。

(聞き手)
今回の焼却に関しては、予算は国から100%出された形でしょうか。

(髙嶋様)
災害廃棄物処理の委託というかたちですので、受託者である本県から処理に係る費用を全て多賀城市に請求します。おそらく、この処理費用については、多賀城市が今度は国に請求して、国庫が入るというかたちだと思います。細かい話をすると、県や町の職員が地元へ行って説明会をしたような人件費などについては、国や多賀城市には請求はしませんでした。

現物を見せることの説得力

(聞き手)
廃棄物対策課は、震災後に災害廃棄物処理をするための人員増強があったと思います。その概略を教えて頂けますか。

(湯澤様)
廃棄物対策課は,災害廃棄物と放射能で汚染された指定廃棄物の関係で、震災の翌年に3名程増えました。それから今年度1名増やして4人のチームという形にしてあります。
廃棄物対策課は、あくまでも廃棄物処理を所管し、除染や被災者の受け入れについては「原子力災害対策室」という別の部署で対応しています。

(聞き手)
今回の広域処理をやった経験として、うまくいったところとうまくいかなかったところ、または今回思ったことや感想でも構いませんので教えて頂ければと思います。

(髙嶋様)
災害廃棄物の広域処理を受け入れるにあたり、放射能汚染の心配をされる方々への説明を丁寧に進めたことが、ある程度、理解を得ることにつながっていると思います。廃棄物処理については、常に安全性の説明をしてもなかなか聞いてもらえない部分はありますが、そこに放射能がひとつ絡むことで、加わるのではなくて掛け算くらいに反対の勢いが強まったという感じがしました。
先ほども話しましたが、試験焼却をやって、実際に空間放射線量の数値が変わらないとか、処理する災害廃棄物も実際に見てもらって、安全だということを分かっていただけるように、意を配しました。
やはり現物で見せた方が説得力はありますので、映像で見せるより、ビニールの袋に入れて持ってきて、「皆さん、これが木くずです」と見せて、「放射能濃度は不検出です」と説明すれば、「そうか、これね」となります。

担当者の熱意と首長の決断力

(聞き手)
その他に、今回の経験で、自治体との連携も含めたかたちで、何か人との繋がりというものがあればお願いします。

(湯澤様)
やはり担当者の熱意ですね。あとは町長さんなり、上の方の決断力です。多分どちらかが欠けていたらできなかったと思います。

(髙嶋様)
私は、結構やりたいようにやらせてもらって、住民説明会で反対派住民と熱くなって議論しても、そこをうまく課長に引き取っていただいたところもあります。実際、組織のトップが説明会に顔を出したということも重要なポイントだったと思います。県の課長自らが、何回も開かれる住民説明会に毎回顔を出して話をする、壬生町も課長が毎回全てに出てくるというような状況で、少しずつ地元と信頼関係みたいなものを築いていけたと私は思います。

指定廃棄物処理の問題

(聞き手)
今回の放射能問題というのは特殊な事例だと思いますが、今後は栃木県内でどのように生かせると思いますか。

(湯澤様)
今、話題になっている指定廃棄物です。これは国の事業ですけども、国と連携をして早く処理をしなければならないと思って進めているので、何か役立つといいなとは思います。広域処理は、災害廃棄物の放射能濃度が低いことを証明すればよかったのですが、指定廃棄物は、放射能濃度が一定基準(8,000ベクレル)を超える廃棄物であり、間違いなく放射能はあるというものです。処分場の安全性や健康への影響はありませんよということを説明することとなりますが、今は、どんなに訴えてもなかなか御理解いただけない状況です。ですから、これからは、広域処理の経験を通じ、まずは、実際に自分の目で、あるいは、体感していただけるような説明をして、少しずつ、こちらの話を聞いてもらえるようにしていきたいと思います。
それ以外ですと、全て廃棄物の話になって恐縮ですけども、産廃の処理施設を造るとなると、どうしても地元は反対します。意外と処理施設がどんなものか分かっていないところもあるので、3年くらい前から県民を対象に、年に2~3回ずつ処理施設を回るバスツアーを行っています。まず産廃が出る工場を見ていただいて、そのゴミがどう処理をされてどう再利用されているというのを実際に見ていただきます。結構それも好評なものですから、それを続けていれば、段々と住民の意識も変わるかもしれません。やはり見てもらうのが一番という気がします。そのバスツアーは、参加者を募集しています。1回は夏休みに、もう1回は年度末くらいに行いますので、夏休みですとやはりお子さん連れが多いです。
また、処理施設も昔とは変わりまして、例えばある自動車工場などでは、産廃を30~40種類に分別して再利用しています。それから今度は、例えばプラスチックが再利用されて燃料になるとか、焼却をした焼却灰を骨材にするとか色んな再生利用のパターンがあります。
これらのいろいろな再生利用の現場を取材し、動画としてYouTubeに投稿しています。自前で、産廃協会と一緒に製作して投稿しているというかたちです。産業廃棄物処理についての正しい理解を得るために、再生利用の現場などの様子を撮影して、皆さんに見てもらえるように、いろんなことを何でもやらないと駄目だと思います。

「できることをやる」という姿勢

(聞き手)
被災地での復旧・復興の考えがあれば教えて頂けないでしょうか。100年後、150年後という後世にどう伝えていければいいか、というところを教えて頂ければと思います。

(湯澤様)
という言葉がありましたが、困っている人がいればお互いに手を差し伸べる。だから、自分が辛い時には「何とか助けてくれ」と、あまり見栄を張らずに言ってもいいのかなという気もします。そこは、お互い遠慮する必要も無いと思いますし、そういう意味では、今回も多賀城市と壬生町で災害に関する協定を結ぶことになり、その後の交流もされているという話を伺うと、非常に嬉しいですね。
あとは、今回は壬生町だけで、どうして他の市町に拡がらなかったかなという反省はあります。ただ、やはり最終処分場などの条件が整わなかったかなというところが大きいと思います。広域処理必要量など国からの話は二転三転しましたし、被災地でも「広域処理はいらないのではないか。自分のところでじっくり処理をすればいい」という声もあったように聞いています。そこは、それでいいと思いますが、正確な情報を発信するのが大切ということです。多賀城市は、市街地ばかりで置き場所が無いですから、確かに1日も早く処理をしたいというところだったと思います。

(髙嶋様)
個人的には、広域処理に係る業務は新鮮でした。県庁職員は直接住民と接する機会というのはそんなにありませんので、住民説明会に行くというのはあらゆる面で新鮮というか緊張もしました。そこでの住民とのやり取りという面では、私自身も成長したと思います。結果的に心がけたのは、相手に分かりやすく説明をすることです。どんなに正しい情報で説明をしても、理解されなければ全く意味が無いので、時間も短く、いかに分かりやすく説明するかということです。あとは、どんなに反対されても何回でも説明会に行って、その都度顔を合わせたら挨拶をして、声を一言二言掛け合うよう心がけました。最初は怪訝そうな顔で私を見ていた人も、最後の受入れの時には握手してくれて「よかったね」と言ってもらえる信頼関係が築けたというのは凄く勉強になりました。

住民との対話はディベートではなく、説明をすること

(聞き手)
住民説明会で話すためには知識が必要ですが、結構勉強されたのではありませんか。

(髙嶋様)
自分の都合のいいように解釈しているかもしれないですが、説明者は逆に素人の方がいい場合があります。結局、素人の人に説明する訳なので、素人の方が意外と分かりやすくポイントを押さえて説明できるのかなと思います。住民説明会において、深く技術的なことを質問されると周りの職員にお願いするというようなこともありましたが、基本的には、難しいことでも分かりやすく自分で答えるよう努力しました。時間がない中で急いで勉強したこともあり、ポイントを絞って覚えました。そのため、説明をするときにも、きっと聞いている人がこの部分が分かりづらいだろうという気持ちが理解できるので、分かりやすく説明できる部分もありました。

(湯澤様)
確かに、県庁職員は住民と接する機会は比較的少ないですね。ただ、廃棄物関係の業務ですと、「産廃施設の計画の内容を教えてほしい」とか、「市町から地元の人が説明を聞きたいと言うので来てくれませんか」という話がよくありました。あとは、苦情なども来ますので、廃棄物関係を担当していると、比較的住民と接する機会もあります。
あとひとつ、今回のように一般住民の方と話しているときは、やはりディベートでは駄目だと感じました。要するに言い含めるとか、はぐらかしてそこをクリアするとか、そういう説明の仕方だとなかなか前には進みません。今の高嶋の話のように、本当に分かりやすく丁寧に説明するのが必要だと思います。どうしても、重箱の隅をつつく人にはディベート感覚でやり込めてしまおうみたいなところもありますが、そういう人達にもやり込める言い方ではなくて、丁寧に説明する言い方で話していかないと、なかなか収まりませんので、その反すうが大変でした。いろいろと宿題を貰って帰ったりしましたが、人にはそれぞれの考え方があり、まさに十人十色ということを実感しました。

(聞き手)
住民の方に説明するには、そもそもどうして広域処理をやらなくてはいけないのかという根本の説明が必要ですが、その部分というのは、困っているから助けようという思いでしょうか。それとも国からの要請があったからなのでしょうか。

(湯澤様)
どちらかと言えば、困っているから助けようという思いの方が強かったと思います。だから、最初は被災状況の映像のDVDとPCとスクリーンを担いで住民説明会に行って、始めの15分くらい映像を流しました。「被災地はこういう状況ですよ、何とか助けましょう」ということを理解してもらおうと考えていました。本県も大体7~8割方のがれき処理が終わり、県としては何とか助けたいという方針でした。受入れに向けた市町の意向調査を行い、知事から市町に協力のお願いをしていただいてから、市町の住民説明会に入っていったという感じです。

「復興」の現実と報道のギャップ

(聞き手)
東日本大震災後の現状について、どのような印象をお持ちでしょうか。

(湯澤様)
全然復興が進んでいないと感じます。特に石巻市などの写真を見ても、きっと昔は市街地で、いろいろな建物があったりしただろうに、がれきが片付いただけで、ただ平らな土地で何もありません。先日の報道では堤防の話をしていましたが、高さ10mの防波堤を作ると海と完全に隔絶されてしまうから、地元の人はここの地区は5mでよいと話していました。ただ、宮城県の村井知事は第1次の津波を防ぐには、どうしても9m必要だからここは譲れないという訳です。それで地元と調整が付いていないというような話でした。こんな話をしていることからすると、たくさんの人の意見や思いもあり、復興を進めることは難しいと思いました。
前回、被災地に行ったのは木くずの最終便を受け入れる少し前で、去年の6月くらいだったと思います。その時も多賀城市から足を延ばして石巻市まで行きましたが、やはり全然建物が建っていませんでした。仮設の大きな焼却炉が3~4つくらい並んでいて、そこからまだ煙が出ていて、これなら処理もすぐ終わるなと感じました。ただ、目を移せば道路だけあって、基礎というかコンクリートの平らな部分だけがあるので、これだけ広さがあるのに何も新しい建物が建ってないのには、ちょっと驚きました。それで端の方には花束が何ヵ所か置いてありました。
宮城県はもっと復興したのかと思っていましたけど、がれきの撤去だけで復興は全然進んでいない気がしました。先に多賀城市を見た時には、被災した建物が残っていたので、建物再建も比較的早かったと思うのですが、石巻市は、まちがまるごと流されていましたので、「ここは一体どうしたんだろう」という印象でした。

(髙嶋様)
本県の報道は、東日本大震災からの復興というより、福島第一原発事故の話題に引っ張られているようなところがあります。本県も、県の北西部では原発の影響を受けました。だからどうしても、話題の中心になるのは福島県です。岩手県や宮城県に関しては、よくニュースなどで現状を見ている人は、未だ復興の道半ばということが分かっていると思いますが、それ以外の人というのは、何となく復興しているだろうと思っている人が多いように感じます。


(湯澤様)
福島県の状況も、報道で知るしかありませんが、報道の内容は、福島第一原発の汚染水、除染や中間貯蔵施設の話が中心となっています。

(髙嶋様)
報道も「これだけ復興してきた」というものが比較的多いような気がします。たまに、地域のまちづくり、高台移転、震災遺構の話といった課題を特集した報道番組はあります。けれど、基本的には、海産物とか、こういうものが戻ってきたというような、言わば明るいニュースが中心なのかなとは思います。

(聞き手)
長い時間、丁寧にご説明頂きまして、本当にありがとうございました。