震災復興業務に係る手記

震災復興業務を終えて

岐阜県可児市

玉野 翔一さん

 平成23年3月11日、前職で建設コンサルタントだった私は名古屋のビルにいました。これまで体験したことのない長時間の揺れと、その後テレビで見た衝撃的な津波の映像に、絶望したことを覚えています。その翌月、私は転職して地元の可児市役所で働きはじめましたが、前の職場の上司から被災地での仕事の話を聞いて、少し転職を後悔していました。コンサルを続けていれば、仕事で被災地の役に立てたかもしれないと思ったからです。入庁1年間、被災地は苦しんでいるのに自分は何もできていないと感じ続けていましたが、その年度末にチャンスが訪れました。多賀城市から可児市に応援の要請がきたため、技術職員が集められ、立候補で派遣する職員を決めることになりました・。そこで公務員経験1年の未熟者ではありましたが、手を挙げさせていただきました。その結果、私と先輩職員との2人の派遣が決まりました。

 多賀城市での最初の業務は、地震で浮き上がったマンホールの段差調査でした。市内約3,000個のマンホールを派遣職員で手分けして調査しました。地道ながらも土地感のない私には道を覚えることになり、地域特性も分かりました。その後は、前年度に発注された工事の監督業務を行いました。現場代理人と工程の打合せを進めるも、作業員がとにかく足りず、私の思いとは裏腹になかなか工事が進みませんでした。また、内陸部の可児市とは違い、高い地下水位も工事の妨げとなり、「まだまだこれは時間がかかるな」と気が遠くなる思いでした。そんな復旧・復興の現場もついに完成したことを聞いて、とてもうれしく思います。多賀城市職員の皆様とともに仕事できたことは、とても良い経験になりました。また皆様にお会いできる日を楽しみにしています。