平成27年3月19日に開催する「減災市民会議2015」第1部のフィールドワーク「伝承と減災を考えるまち歩き」では、多賀城市役所から市営桜木住宅まで、市役所職員と多賀城高校生がガイドとなり、事前に参加を申し込んでいただいた参加者と歩きます。震災当時の画像や映像と現在の様子を現場で比較したり、多賀城高校生が設置した津波表示板をみて、実際に多賀城を襲った津波の高さを確認します。災害の経験を共有する他、途中、避難ビルになっている場所も確認して、次の災害への備えともします。ここでは、3月19日のまち歩きコース上でご紹介する場所の震災当時の様子が分かる写真を掲載しています。1時間程度のコースですので、「減災市民会議2015」のちらし裏面「多賀城まち歩きマップ」を参考に、ぜひ歩いてみてください。
3月11日午後4時半頃に市役所屋上から撮影したものです。写真中央を流れる砂押川が溢れそうになっています。画面右奥のイオン多賀城店の屋上には、大勢避難した方がいました。
震災翌日の朝の写真です。津波の水が引かず、被災した車両が漂っています。
3月11日午後4時頃の国道45号です。奥の道路では渋滞が始まっています。帰宅途中の高校生が心配そうに渋滞の先を見つめています。
震災から2日後です。津波によって積み重ねられた車両が道路を塞いでいます。
3月16日、水路には沢山の被災車両やがれきがありました。町の中の津波の水を抜くためには、こういった水路を塞いでいるものを、早く取り除く必要もありました。
震災翌日の朝の写真です。産業道路では、膝くらいまで冠水しています。 写真左端には、工場地帯からでしょうか。列を作って避難する人が見えます。 手につえのようなものをもって歩いているのは、濁った津波の水により、足元がまったくみえないからです。
被災した車両とヘドロが乾いたものとガレキで、通行できる状態ではありませんでした。
被災した店舗などから出された災害廃棄物。震災翌日には災害廃棄物の仮置き場を設置したものの、市内いたるところにガレキがあふれていました。。
自衛隊に救助される桜木花園幼稚園の避難者の写真です。1階の窓から助け出された後、ボートに乗せられました。ここには、160人以上の方が避難していました。
現在、市営桜木住宅が建っている場所です。以前はグラウンドとして使用されていました。中央に写るこのフェンスによじ登ってなんとか助かった方もいました。
現在の市営桜木住宅の向かいにあった、旧桜木保育所です。この建物は取り壊されてありませんが、壁に津波の痕跡があるので、津波がどの高さまできたのかがよく分かります。
1 減災市民会議2015ちらし [PDF:1,770KB]