震災復興業務に係る手記

多賀城市 震災復興業務に係る手記

埼玉県飯能市

池田 吉男さん

 私は多賀城市建設部市街地整備課に平成25年度の1年間お世話になりました。当時の私は飯能市の危機管理室長でした、当時の市長は多賀城市長と大学の同窓であったことから直接派遣を要請され、宮城県多賀城市に職員を派遣したいので職員を探すよう指示を受け複数人に声をかけていたのですが、様々な事情で派遣する職員がなかなか決まりませんでした。

 そのような事情の中で私自身が行くことを自ら決め、市長に申し出て派遣されました。

 配属先の多賀城市建設部市街地整備課は課長以下15名で、その内8名が派遣職員の体制でした。私の業務の内容は多賀城駅周辺の市街地整備及び関連する周辺整備の工事の計画及び施工や仙石線連続立体に関連する業務が主なものでした。

 派遣後すぐに感じた印象ですが、多賀城市では津波等で直接被災した地区と、被災していない地区の差を感じました。特に被災して住家を無くされた方は、仮設住宅に入居されておりますが、被災していない方は通常の生活を営んでいるそのギャップを強く感じました。

 特に宮内地区は直接津波が入り大きな被害があった場所ですが、一部家屋が取り壊されずに残っており津波災害の怖さを改めて感じました。

 私自身は、能天気な性格と体力にも恵まれ毎日を過ごす事ができましたが、現場業務からはすでに離れておりましたので復興業務の内容に不安がありました。何とか工事や委託の設計等はすぐに思い出しましたが、事務システムの違いや職場の雰囲気、体制の難しさを感じました。

 ある時、交渉事で地権者の方を訪ねた時に、自己紹介で派遣されている職員であると説明したところ、地元の職員には言えないがと、前置きされ様々な不満をぶつけられました。

 そこで感じたことは、コミュニケーションの大切さです。被災自治体は通常業務を行いながら復興業務を行うことになりどうしても市民に対しての伝える力が落ちていると感じました。改めて説明をし、了解をしていただいたことがあります。

 当時の新聞記事に「地元職員はマラソン」、「派遣職員は短距離走」との言葉がありました。

 復興には長い時間が必要ですが、派遣職員は短期間であり、特に交渉事では相手の方から信頼していただくための努力の大切さを痛感したものです。

 自らも被災者でありながら職責を遂行しなければならない市職員の皆様のつらさははかり知ることはできません。反対意見もあったでしょうし、難しい判断を迫られる場面もあったと思います。それでもやり抜くことが復興につながると信じて努力されていた姿は忘れられません。

 私自身は、初めての単身生活でしたが、市職員の皆さんに温かく迎えていただき、充実した毎日を送れたと思います。飯能市ではできない経験も数多くさせていただきました。  

 これまでの人生の中で濃密で忘れることのできない貴重な経験をさせていただいた期間だった事には間違いありません。

 多くの人々と協力しながら仕事をしたことが、自分の人生において大きな財産となりました。震災から10年が経過して大きな節目を迎えてはいますが、本当の意味での復興はこれからも続いていくと思います。

 最後になりますが、多賀城市の益々の発展と職員の皆様のご活躍を心よりご祈念申し上げます。