震災復興業務に係る手記

災害派遣を振り返って

富山県高岡市

鷲田 潤さん

 富山県高岡市は比較的に災害の少ない都市のため、私は今まで大きな被災を経験したことがありませんでした。発災当時、高岡市では震度2を記録し、揺れは大きくありませんでしたが、その日は風邪で寝込んでいたため床から揺れを感じ、直ぐにテレビの報道を見て事態を知った記憶が鮮明に残っています。

 私は平成24年度と25年度の2年間、下水道課の職員として出向しました。被災から1年が経過していたため、多賀城市の生活において不自由を感じたことはありませんでしたが、道路脇に積まれた車や瓦礫、海沿いの傾いたままの柱など、至る所で甚大な被災の爪痕を目にしました。

 最初に驚いたことは、毎晩のように余震があったことです。多賀城市の方に尋ねると日常的な事象になっていたため、余震対応に慣れていることにも驚きました。また、派遣期間中に発生した平成24年12月の三陸沖地震の揺れは体感的には十数秒にも感じられ、その時ばかりは不安と身の危険を感じました。

 主な業務は、下水道管の復旧工事でした。既に着手済みの工事の監督業務や、これから着手する地区住民の皆様への家屋調査の説明など、復旧への貢献を肌で感じながら日々を過ごすことができました。一方で大規模復旧工事を担当した職員は、不足する資材調達などの準備期間に長く要しており、進捗のない状況に対し、もどかしい思いを聞くことも度々ありました。その時に強く感じたこととして、派遣の方々の復興に対する思いが非常に強かったことを覚えています。恥ずかしながら、私はそのような仲間と同じ時間を共有したことで、私自身の意識が変わっていったのだと感じています。派遣2年目を迎えた頃には一層の使命感を感じるとともに更なる復旧に向け、右も左も分からなかった頃の自分と照らし合わせながら、私なりに他の派遣職員を先導していくことにも意識を注ぎました。私が在籍していた期間のみでも下水道課には全国から50名以上の派遣職員が入れ替わりしていたにも関わらず、その一人一人に懇切丁寧にご指導されていた多賀城市の職員の皆様のご苦労を改めて痛感しました。

 派遣期間を終え、お世話になった職員の皆様に最後の挨拶をさせて頂いた際、1年目に下水道課に在籍されていた多賀城市の職員の方まで顔を出していただき、思わず込み上げた感情を抑えきれず、涙が止まりませんでした。私にとって派遣の2年間はあっという間に駆け抜けた時間であり、一つの目標に対し、派遣の仲間や多賀城市の職員の皆様と築き上げたかけがえのない時間でした。派遣を通じ、自然の驚異や偉大さを実感するとともに、私は人の絆の強さを知ることができました。派遣が終了した今でも、私は毎年のように多賀城市へ訪れます。それは復興を見届けることだけが目的ではなく、そこで紡いだ絆があるからです。

 終わりになりますが、派遣の際にお世話になりました関係の皆様にこの場をお借りして感謝申し上げるとともに、多賀城市の今後のますますのご発展をお祈り申し上げます。