震災復興業務に係る手記

歴史の記憶~未来へのアーカイブス~

千葉県印西市

杉山 祐一さん

 私が復興支援を希望した理由は、友人が津波で家を流されたことから、一度はなにかしらの形で支援に携わりたいと考えたからです。しかし、家庭の事情からなかなかその機会は訪れず、希望がかなったのはようやく震災9年目の2019年になってからでした。支援先は、埋蔵文化財調査を第一希望としたこともあり、多賀城市にお世話になることになりました。

 震災から9年を経過していたことから、多賀城市ではすでにハード面での復興は進んでおり、見た目には震災の影響はほとんどわからなくなっていました。私が主に関わった業務は、復興事業の仕上げともいえる、山王地区のほ場整備に係る埋蔵文化財調査でした。そういう意味では、震災直後の市職員や復興支援職員の方々が直面したであろう様々な苦労を経験することもなく、比較的恵まれた環境の中で業務に当たることができたと言えるかもしれません。それでも、実際に市職員や発掘調査の作業員・整理員の皆さんと関わる中で、震災は決して過去の出来事ではないことを感じるようになりました。

 震災の経験談を聞く機会では、普段気さくな方でも口が重くなるようなケースがあり、やはり思い出したくない体験をされたことが推察できました。千葉県北部でも震度6弱を記録し、私自身も大変な思いをしたつもりではありましたが、それとはやはり質の違う体験であったことを強く感じました。ハードの復興は進んでも、心の復興は簡単ではないということを実感する大切な機会になりました。

 私が担当した発掘現場は、奈良・平安時代の古代都市が広がるエリアでした。そうした重要遺跡を調査する経験は滅多にあるものではなく、個人的に得がたい経験となりました。夏の酷暑、東北の厳冬、低地調査につきものの地下水との闘いなど、長らく現場作業から離れていた体には相当こたえる仕事でしたが、同時に発掘を通じて歴史と対話する学芸職の楽しさを思い出すこともできました。

 調査では、平安時代に起こったであろう洪水やまちの廃絶の痕跡を示す砂層や黒色土層を、遺跡の各所で確認しました。これらはまぎれもなく天災や都市の衰亡が繰り返されてきた証であり、現代の私たちに対する物言わぬ歴史の警告のようにも思えました。一方、東日本大震災と同規模の大地震と言われる869年の貞観地震やそれに伴う大津波の痕跡については、学術的な探求が続けられているにもかかわらず、考古学的に確実な証拠はいまだ多くない状況だそうです。おそらくは、平安時代の当時も、大変な被害を出したものの、長い期間をかけ、見事に復興を果たしたためと考えられます。このことは、9世紀後半以降、当時のまちなみを区画した方格地割がさらに拡張している事実からも窺えます。それはあたかも、令和の多賀城市と通じるものがあります。

 ところで、貞観地震は、『日本三代実録』に被害の様子が記されたため、今日までその実態を具体的に知ることができる日本史上でも稀有な災害です。ちなみに、約2,000年前の弥生時代に起こったとされる大津波の記録は、近年仙台市沓形遺跡などで検出された証拠から初めて明らかになりましたが、それまではまったく知られていませんでした。いわば、『実録』は古代の災害アーカイブの役割を果たしたことになります。このことは、人が能動的に残そうとする意志がない限り、どんな大災害も容易に忘れさられてしまうことを示しています。これらを踏まえると、東日本大震災の記録は映像を含めた多くの情報を未来に伝えることができる点で、かけがえのない貴重なアーカイブスになることは疑いありません。

 復興事業は10年の節目を迎えたとのことで、大変喜ばしいことです。一方で、心の復興に完了はありません。また、未来の世代への伝承は、記憶が薄れていくこれからが重要になってくることでしょう。その点で、「たがじょう見聞憶」の取組は素晴らしいことだと思います。そして、発掘調査に携わった立場からは、各種文化財の保護・活用も、アーカイブスの一翼を担う重要な取組であると述べておきたいと思います。これらの取組が、これからますます発展する多賀城市と宮城県、東北地方の礎となることを願ってやみません。

 最後に、派遣に当たってお世話になったすべての皆様に厚く御礼申し上げるとともに、末永いご多幸を祈念いたします。