震災復興業務に係る手記

多賀城市派遣で感じたこと

三重県東員町

山下 哲郎さん

 派遣前はテレビなどで見た悲惨な状態を想像していました。私が被災地の市役所で何ができるのか不安で、任務にあたることが果たして被災地のためになるのか疑問に思いながら2013年1月多賀城市に赴きました。

 2013年1月7日から多賀城市役所で業務を始めて、市内の被災地を見たところ、瓦礫などはすべて撤去されている状態で、宮内地区など市内で特にひどかったところは住宅の基礎だけとなっていたり更地になっていたりしていました。中には鉄骨だけになった建物などが津波のすごさを物語っていました。河川の護岸復旧工事、道路工事や下水道工事などいたるところで工事をしている印象を受けました。また、市内には仮設住宅が6か所建設されており、野球場のグランドや公園、学校などの空いたスペースを利用し建てられ入居している方や民間の賃貸住宅を仮設住宅として入居している人たちもいると聞きました。仮設住宅を見ると震災の影響を受け不便な生活を強いられている人がまだたくさんおり、派遣当時、発災から2年が経ち、震災関連の報道が減ってはいますが、忘れてはいけないと改めて感じました。

 職員の皆さんは震災があったことを感じさせないような感じで温かく私たち派遣職員を迎えてくれました。しかし、震災直後の話を聞くと、市内各地で津波による被害で車両が何台も折り重なり、車内で人が亡くなっている悲惨な状況を目の当たりしショックを受けたとか、避難所に通い被災者の支援にあたり、生活面でも燃料などが不足し不便なことがたくさんあったという話を聞きました。多くの住民が市の施設や公民館に避難していることを思うと災害時に職員が果たす役割はとても大きく責任も重大なことに気づかされました。

 3か月という短い期間の活動で、貢献できたことはほんの僅かではありましたが、市の多賀城駅周辺整備課の仕事を通じて、派遣当時、復旧復興までは相当の時間がかかることを実感しました。また、震災による業務量の増加によって、職員が不足しており、全国からの支援がまだ足りないという思いもしました。

 私たちが被災地のためにできることは、2011年3月11日の東日本大震災を忘れないこと。後世へ伝えていくことだと思います。昔からたびたび発生してきた震災を皆が記憶していれば、いざという時に身を守る行動をとることができると思います。そのために震災や防災について話し合う機会をもつことが大切だと思います。

 派遣後2016年に多賀城市周辺を訪れる機会がありました。多賀城駅周辺は見違えるほど整備され、復興が進んでいることを目の当たりにし、多賀城市職員の皆さんが大変苦労をされてここまで復興してこられたと改めて感じました。

 また、多賀城市を含め宮城には、史跡、観光、グルメなど、魅力的なところがたくさんあります。多くの観光客が訪れ、今後もますます発展してくものと三重から応援しています。