震災復興業務に係る手記

あの短く暑い夏の日々

秋田県男鹿市

佐藤 樹 さん

 私が多賀城市に派遣されたのは平成25年の7月から9月までの3ヶ月間で、前年度から前任からそれぞれ引き継ぎを続けながら復興業務に携わった、男鹿市からの6人目の派遣でした。

地元から離れたことのない私にとって、初めての独り暮らしがとても心細く不安な気持ちの一方で、前任者まで続けてきた震災による災害復旧を途切れることなく進め、微力ながらも復興に助力したい気持ちが入り乱れ、複雑な心境だったことが昨日のことのように思い出されます。

 地元ではすでに暑さが増していたため、半袖などの夏物しか持って来ておらず、思いのほかの肌寒さに派遣先のアパートで震えながら最寄りの衣料品店を検索していたのを、今この手記を記しながら思い出しました。

 同時に夏のジリジリと照り付ける暑い陽ざし、雨上がりのアスファルトの匂い、毎朝通勤で通った道のり、交わした会話や議論など色々なことが蘇ってきました。

 街に残された震災の爪痕は、私が派遣された頃には多くなく、テレビの報道などで想像していたものより復旧が進んでいる状況でした。 私の主な業務は、前年度までに災害査定や工事発注を終えた道路災害等の工事監督業務や橋りょうの耐震工事の積算などで、災害復旧を促進したいという想いとは裏腹に、他工事との調整により工事が中々進展しない箇所もあり焦れることもありましたが、前任者から、また後任者への円滑な引継ぎのほか多賀城市職員や他県からの派遣職員の協力により工事箇所を無事完成させることができ、微力ながら復興の一助となったことを非常に嬉しく思います。

 ただ、3ヶ月という短い期間でしたので、自分が完成まで携わった工事箇所の完成検査受検や支払業務などを後任に委ねなければならなかったことは、いささか心残りでもありました。

自問自責することもありましたが、住民の方々や他の職員の方々に助けられ、「復旧・復興」という想いを一つにする仲間との『絆』を感じながら、多賀城市の復興に携わることができたことは本当に貴重な機会でした。

 知り合うことのできた地域の方々の、その笑顔の裏にある複雑な感情を全て推し量ることは出来ませんでしたが、彼ら彼女らの前を向いてひたむきに頑張る姿は、今でも決して忘れることができません。

その後の多賀城市への訪問はまだ叶ってはいませんが、復興を遂げた多賀城市の街並みを是非この目に焼き付けたいと思っています。

多賀城市のこれからの発展を、心から願って止みません。