震災復興業務に係る手記

多賀城市派遣から10年

広島県呉市

椋田 健一郎さん

 自分が派遣職員として多賀城市に向かったのは,東日本大震災から約1年が過ぎた平成24年の4月でした。朝,広島県呉市の自宅を出て,JR呉駅から,呉線,山陽新幹線,東北新幹線,仙石線と乗り継ぎ,JR多賀城駅に到着したのはもう夕方近くだったと思います。JR多賀城駅から多賀城市役所まで歩く景色は,被災から1年が経過していたこともあってか,想像していた被災地ではない印象でした。しかし,多賀城市役所で着任の挨拶や手続きを終え,市から借りた自転車で市内を走ってみると,壊れた建物や道路,広場に積み上げられた車など,広島の自宅のテレビで見た被災地の光景が広がっていました。この日の夜,日用品や食材を多賀城イオンで購入し,栄のシャンテ多賀城に帰る途中,被災した道路の段差で自転車のかごから荷物が落ち,前日の雨で出来た水たまりに買ったばかりのクッションが浸かってしまい,とても悲しかったことを覚えています。

 自分が配属された下水道課には,北は山形から南は沖縄まで,多くの派遣職員が配属され,被災した下水道の管路や処理場,ポンプ場などの施設の復旧にあたりました。しかし,当時,宮城県内を始め東北地方の各地で災害復旧事業が進められている状況であったことなどから,発注する工事の入札不調が相次ぎ,下水道復旧工事の進捗はままならない状況でした。このような中,多賀城市の職員や同じグループの高岡市,可児市等の職員と,忙しいながらも楽しく業務を努めさせていただきました。4ヶ月というわずかな派遣期間の中,工事の影響を事前に確認する家屋調査では多賀城市民の方々の話を伺ったり,管路の復旧工事のため陸上自衛隊多賀城駐屯地の中を調査したりと,当時の色々なことが思い出されます。

 派遣終了以降,多賀城市を2度訪れており,その都度,当時の上司や仲間たちと楽しく飲ませていただいています。

 この度,震災復興期間が終了し,活気あるまちの姿を取り戻すことが出来たとのご報告を受け,非常に喜ばしく思うとともに,わずかながらも多賀城市の復旧・復興のお手伝いが出来たことを嬉しく思います。

 

 東日本大震災から7年後の平成30年7月,豪雨による大規模な災害が西日本の各地で発生し,呉市も土石流や河川氾濫などによる甚大な被害を受けました。その際には多賀城市を始め,全国から多くの御支援をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。その節は大変お世話になり,ありがとうございました。豪雨災害から3年が経過し,道路や河川等の災害復旧工事もその多くが完了し,現在は復興へ向けた取組を進めているところです。

 近年の地震の発生や降雨の状況などを見ると,今後も各地で多くの災害の発生が危惧されますが,日本全国で被災地に寄り添い,助け合っていかなければと思います。

 最後になりますが,お世話になった多賀城市の皆様,派遣職員の皆様,ありがとうございました。また会える日を楽しみにしています。