震災復興業務に係る手記

それでもこの地で生きていく

岐阜県可児市

日比野 聡さん

 東日本大震災から2年目の平成25年4月から半年間の派遣でした。担当業務は、地震の影響で浮き上ったマンホールや損壊した下水道管の復旧並びに雨水浸水対策の設計業務でした。

 多賀城市のまちに足を踏み入れた第一印象は予想とは大きく違い、震災の爪痕を市内で目にすることはほとんどありませんでした。しかし、職員さんからの話や被災直後の写真を拝見し、その印象は打ち消されました。津波により市内の三分の一が浸水し、180名を超える尊い命が犠牲となり、決して被害が少なかった訳ではありませんでした。これはひとえに、市長を先頭に、全市一丸となって早期復旧に取り組み、中でも、震災によって発生した瓦礫の処理をいち早く進めたことによる成果であったと思います。

 派遣期間中、週末を利用して被害を受けた沿岸部を中心に東北各地を訪問させていただきました。そこでお会いした被災者の方から、「それでもこの地で生きていくんや」という力強い言葉をお聞きし、励ますどころか、逆に、困難に立ち向かう勇気をもらいました。

 震災から10年が経ち、道路や住宅などの目に見えるものの復旧は徐々に進んでいるようですが、家族やお知り合いを亡くされた方の思いと現実との折り合いはなかなかつくものではないと思います。

 私にとって多賀城市に派遣された半年間は、人生においての貴重な経験となり、一生涯忘れられないものとなりました。これからも、多賀城市はもとより、東北の復興のためにできることを考え、そして、応援を続けていきます。

 最後に改めまして、被災された方にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りして、私の派遣手記とさせていただきます。