震災復興業務に係る手記

長岡市から~復興祈願~

新潟県長岡市

齊藤 真太さん

〇2011年3月11日14時46分

 東日本大震災、新潟県長岡市においても、船の上にいるような大きな、そして経験のない長時間の揺れを感じ、大変な事態が発生したことを直感しました。

 次々と情報が入り、どれも私の想像を超えるものでした。特に、沿岸の広い範囲に高い津波が押し寄せ、「三陸に津波被害が集中する」という私の勝手な想定が完全に崩れました。

 翌日、長岡市の人事課へ「私は宮城の出身であり復旧・復興の力になりたい。」とメールを送信しました。

 

〇震災後から多賀城市派遣まで

 私は仙台で生まれ育ち、両親は現在も仙台で暮らしています。震災直後、両親とは連絡が取れず、連絡が無いことが無事であることの便りと信じて過ごしておりました。数日し、弟からの連絡で両親や親戚の無事を確認でき、安心しました。

 4月中旬になり、緊急的な道路復旧等が落ち着き、移動制限もなくなったことから、5月のゴールデンウィークに帰省することを決めました。

 この期間、実家に帰るだけでなく、何か貢献しなければと思っており、多賀城市がボランティアを受け入れていることを知りました。

 期間中の計3日間、家の片付け、泥除去などのボランティア活動を行うことができました。活動場所の付近には、子どもの頃に魚釣りを楽しんだ貞山堀もありました。その貞山堀付近を休憩中に散歩をしたのですが、電柱が鉄筋むき出しで折れ、堤防のブロック積も激しく崩れており、あらためて津波の破壊力を感じました。

 その後、次の帰省はお盆と思っていた矢先、2011年7月、豪雨災害が発生し、長岡市も多くの被害を受けました。

 当時、私は道路・河川の発注担当課に所属しており、多数の災害復旧工事の一部を担当し、災害査定等に追われる日々となりました。

 災害復旧工事の発注が概ね完了し、ちょうど東日本大震災から1年経過したころでした。人事課から連絡があり、「長岡市として東北地方への職員派遣を検討している。派遣先の選定は任せてほしいが、1年前の希望のとおり災害派遣に応じて欲しい。」との話がありました。そして、人事課の調整の結果、派遣先は「多賀城市」となりました。

 ボランティアのことは伝えていなかったので、なんとなく運命的なものを感じました。

 

〇長岡市への感謝

 一般的に災害に伴う職員派遣は、復旧・復興や職員の研鑽などを目的としていると思います。しかし、私の場合は、自身の気持ちの整理のため、という違う目的も生じていたと思います。申し訳ないと思うとともに、中途半端な仕事はできないと、仕事に取り組む原動力となったと思います。

 また、復旧・復興の本当の支援者は、私を送り出してくれた長岡市民のみなさま、長岡市役所職員のみなさまです。特に、当時の所属課の同僚・上司には、豪雨災害の復旧工事など、私の業務を引き継ぐこととなり、苦労を掛けたと思います。本当に感謝しています。

 

〇多賀城市での業務

 2012年7月、派遣職員として多賀城市建設部道路公園課に配属されました。

 道路公園課では、震災の影響により用地関連業務が増加傾向となり、派遣職員である山口県防府市の富岡氏、原田氏、多賀城市の用地関連業務の要人である櫻井氏、そして私を含めた体制で業務にあたりました。

 私の詳細な業務としては、用地関連業務のうち境界立会業務を主として、そのほか、道路公園に関わる窓口対応、道路台帳作成業務などにも携わらせていただくこととなりました。

 

〇境界立会業務について

 境界立会業務は、地域の用地経歴を把握し、かつ専門的な見地も必要であることから、地域の土地家屋調査士による委託業務が平成24年度から開始されました。震災で増大する立会件数も要因の一つではあるものの、品質の向上も期待される画期的な業務改善であると感じました。

 この取組みにより市職員の境界立会業務としては、立会の委託発注等の事務手続き、立会必要資料の収集等に絞られることになりました。重要部分である、現地把握、資料把握、交渉などは経験豊富な調査士が担当し、この業務の難解・精密な部分が皆無と言って良いほど負担のない業務となります。

 一方、現場での境界立会を全く行わなかったわけではなく、県や市などの公共機関が発注する用地確定業務などは、職員直営で立会を行うこととしていました。それらの立会には、復興に向けた区画整理事業、災害公営住宅建設の先立つ用地確定も含まれ、復旧復興への進捗を直接感じることができる場面でもありました。

 

〇災害派遣の実績~長岡市からの「復興を祈り願う」思いを届ける~

 私は派遣職員として特別な技術も持っていません。一方、長岡市は、中越大震災等で全国から様々な支援を受け、復興を遂げ、今度は支援を行う立場でありました。

 その長岡市からの東北・多賀城市の復興への願いは、あらゆる場面を通して、確実に届けることができました。私が災害派遣職員の役割として達成できたと確信できる一つだと思っています。

 

〇おわりに~帰任とその後~

 2013年9月末、多賀城市のみなさまの有り余る配慮があり、無事に派遣を終えることができました。ありがとうございました。一発の花火のように短い1年3カ月でした。

 長岡市帰任後は、前の所属課に戻ることとなり、再び起きてしまった2013年8月の豪雨災害の災害復旧工事などを中心に業務することとなりました。なお、現在(2021年)は、一般事務職から土木技師職への転職や部署異動を経て、長岡市水道局に在籍し、水道行政に力を尽くしているところです。

 実家への帰省の際には、たびたび多賀城市を通りかかります。その復興の様子を見て、多くの人の力が前進を生んでいることを感じ取り、今後の更なる発展をお祈りしております。