震災復興業務に係る手記

短くて長い多賀城市生活

東京都府中市

染谷 晋さん

 平成24年4月1日~9月30日までの半年間、多賀城市多賀城駅周辺整備課及び都市計画課において、多賀城市震災復興業務に携わらせていただきました。

 様々な業務がありましたが、津波によってほとんどの建物が無くなった宮内地区での再建に向けた個人面談、説明会に参加したことが強く印象に残っています。

 当時、津波被害の大きい地域では、現地再建、または集団移転のどちらにするか選択が迫られていました。その中で多賀城市においては、集団移転する土地が無いこと、防潮堤、土地嵩上げを行うことにより今回のような被害を防ぐことができることから、現地再建を選択しました。

 そこで、実際に被害にあった方々に対して個人面談を実施し、現地再建について説明をしたのですが、近隣の方やご家族が亡くなった土地には住みたくないと泣いてしまわれる場面もありました。

 私は、震災から一年後に多賀城市復興業務として派遣されて、初めて多賀城市へ行きましたが、市役所など被害が比較的少ないところを見ていたため、実際はテレビで見たよりも被害があまりないのかな、などと思っていました。しかしながら、被災者の方から実際に被害にあった話を聞くと、当時の大変な思いが強く感じられたことを今でも覚えています。

 また、多賀城市は甚大な被害を受けたにもかかわらず、職員、住民、地元企業、ボランティア等の協力により、速やかに復興に向けて取組を進めていた点について、感銘を受けました。

 復興への道のりは決して楽ではなく、大手企業の撤退や事業縮小、それに伴う雇用の喪失は市の財政に多大な打撃を与えることとなり、また、失われてしまった都市機能を再生することは非常に大きな労力が必要であったことを思うと、多賀城市職員の皆さまの苦労が大変なものであったことが想像できます。

 半年間と短い間ではありましたが、私の公務員人生において忘れることのできない経験をさせていただきました。多賀城市は第二の故郷と思っていますので、このコロナ禍が収束した折には、家族とともに10年後の姿を直接見に行きたいと考えております。