震災復興業務に係る手記

派遣でつながる力

三重県東員町

小河 信彦さん

 私が多賀城市に出向いたのは平成24年10月です。地震から1年半が過ぎていたこともあり、混乱した時期は過ぎ、これから立て直そうという時期でした。

 配属となったのは多賀城市役所の駅周辺整備課で多賀城駅周辺の整備などの業務でした。私たち三重県東員町の派遣は3か月交代という短いスパンだったので復興に直接関わる業務に多くは携われなかったのですが、山積する復興業務に追われる多賀城市職員の皆さんは、通常業務もこなす必要があり、少しでもその助けになればと業務にやりがいを感じていました。具体的な業務の一つとして多賀城駅周辺の道路工事発注のための事前調査などもお手伝いしましたが、微力ながら現在の図書館が併設する立派な多賀城駅に生まれ変わる一助になれたことは誇りに思います。

 派遣中は私たちのために用意していただいた仮設住宅から市役所までを自転車で通いました。冷え込む秋晴れの太陽が穏やかに流れる砂押川の水面で輝く風景を横目に、堤防沿いの道を何度も往復しました。震災当時の砂押川に津波が遡上し悲鳴をあげながらカメラにおさめた住民の映像や、ところどころ川沿いが崩れ落ち復旧作業にあたる重機を見ると、人間が太刀打ちできない自然の力と、それでも一歩一歩復旧に向かって頑張る人の力を感じていました。

 多賀城市職員の方々は、みなさんとても優しく接してくれました。今思い返しても復興で大変な中、随分と気を使わせてしまったのではないかと後ろめたさを感じるほどです。正直、本来力を貸さなければならない立場でありながら、逆に力をもらい、右も左も分からないまま派遣が終了した思いでした。

 派遣後、地元の小学校に被災地派遣に行った役場職員として子どもたちの前でお話しする機会をいただきました。宮城県多賀城市のことや地震、津波について考える時間でした。地元の子ども達が真剣なまなざしで私の話を聞き、震災のことを伝えることができたとき、はじめて自分も多賀城市のみなさんのお役に立てた気がしました。