震災復興業務に係る手記

2度の多賀城市派遣での経験

三重県東員町

児玉 豊和さん

 私は東日本大震災に関連して、所属する自治体から多賀城市に2回派遣されました。1回目は、平成23年の6月、山王公民館での避難所運営支援でした。他自治体の職員と共に避難所で寝泊まりしながら、避難者の方々の生活支援などを11日間経験しました。発災から少し時間は経過していたものの、まだ続く余震に怯えながら支援業務に当たったことを覚えています。

 2回目は、自治法派遣による、当時の多賀城駅周辺整備課での勤務です。駅周辺整備課では駅前再開発事業などの業務を担当させていただきました。これまでに経験のない仕事で戸惑いもありましたが、課員の皆さんに大変親切にしていただき、次第に慣れることができました。

 震災復興に直接関連した業務としては、派遣当初に都市計画課の応援として、津波により大きな被害を受けた宮内地区の皆様から、今後の再建意向のヒアリングを行いました。

 そのヒアリングの中で、今でも忘れることのできないお話をお聞きしました。相手は初老の女性だったと記憶しています。

 「今回の震災では、津波により地区の中で亡くなった方や自宅を失った方など、多くの悲しい出来事がありました。でも、私が一番悲しかったことは違うのです。それは、市外から毎週のように遊びに来てくれていた孫が、今回この地区で起きた被害の話を聞き、「おばあちゃんの家は怖いからもう行きたくない。」と話したこと。」女性はそう話されました。

 その時私は、災害は人命や財産を奪うだけでなく、人の心も傷つけるものであることを再認識すると共に、所属する自治体においても更に災害に強いまちづくりを進める必要性があることを感じました。

 私の派遣期間は僅か3ヶ月間だったため、その後、女性とご家族が再建に向けてどのような選択をされたのかは存じていません。

 平成29年10月、宮内地区の復興区画整理事業の造成工事が完了した際に開かれた「まちびらき植樹祭」に招待いただきました。

 復興に向けて着々と整備が進む宮内地区の景色を見て、「良いまちができたから、女性のお孫さん、また来てくれるかな。」と思いながら、ほんの僅かでしたが、震災復興業務に関わることができたことへの満足感と懐かしさを覚えました。