震災復興業務に係る手記

震災の被害について

富山県高岡市

本郷 亮太さん

 私が多賀城市で派遣職員として勤務したのは、震災から10年目の令和2年度のことです。主に災害公営住宅の業務を担当しました。わずか1年間でしたが、多賀城市では貴重な経験を数多くさせていただいたと思っています。

 多賀城市に行くまで、震災被害があった場所の現状はどのようなものなのか想像がつかず不安でした。ただ実際訪れてみると、震災から10年経過していることもあり、建物や道路はきれいに整備されており、震災があったことさえ分からないほどでした。また生活するうえでも、生活圏内に必要な商業施設が一通り揃っており快適に過ごすことができました。

 しかしながら、インフラ面での復興が完了していても、震災による問題は依然残っていることを、災害公営住宅業務を通し実感しました。災害公営住宅に入居している方たちは震災により住居を失っています。そのため、長年住み慣れた家とは環境の違う災害公営住宅での生活を余儀なくされており、公営住宅がかかえる問題に悩んでいました。

 例えば、共同住宅であるからこそ生じる近隣住民間のトラブルや住宅自治会のトラブルなど。大規模住宅で大勢の人が同じ建物で生活しているからこそだと思います。

 また公営住宅であるがゆえ、所得に対応した家賃が設定される制度に関連した問題もありました。低所得世帯にとっては低廉な家賃で住める一方、基準の所得を超過した世帯は、基本的には高額な家賃となり退去することになります。そうして他の低所得者世帯に入居してもらう制度ですが、震災で家を失い、災害公営住宅の完成を待ちわび、ようやく入居できたのに、数年でまた転居しなくてはいけない方々も少なからず存在していました。制度上仕方のないこととはいえ、難しい問題だと感じました。

 以上のように、震災の被害は身近な生活問題として現在も続いています。決して、建物と道路が元通りになったから解決というものではありませんでした。改めて震災の影響の大きさを感じさせられました。

 震災から10年が経過し、その恐ろしさが忘れられつつあるように感じます。しかしながら、震災がひとたび起これば人生は一変します。今一度、全国民が震災についてよく考える必要があると、派遣職員として勤務を終えて感じています。