震災復興業務に係る手記

災害廃棄物処理を振り返って

神奈川県横浜市

茶山 修一さん

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災からおよそ4か月経過したある日、小職は上司に呼ばれ、災害廃棄物関連業務のため宮城県内の自治体に長期派遣されることを伝えられました。そして派遣先として伝えられたのが多賀城市でした。

 小職は高校と大学が仙台、そして高校は当時の北学区で多賀城市も学区内ということから、多少なりともゆかりのある土地と考え、勇んで出発したのが昨日のことのように思い出されます。

 とは言え、8月1日に着任した当時、未だ地震と津波の傷跡は生々しく残っており、あちこちに災害廃棄物の山がある状況。これが3年で片付けられるものだろうかと、内心大いに不安に駆られたのも事実でした。

 最初に取り掛かったのが災害廃棄物の処理に係る補助金の申請、そして並行して中間処理施設の設置や被災家屋の公費による解体撤去に係る業務でした。

 そのいずれも、多賀城市職員の献身的かつ精力的な取組み、そして全国の官民挙げての協力あって、時がたつにつれ目に見えて街中からのがれき撤去、被災家屋の公費解体が進捗していきました。また仮置場に10メートル以上積み上げられた災害廃棄物の山も、当時は珍しかった災害廃棄物の中間処理工程を経て処理を進める等、いわば新機軸も併用し、2年余で処理を完了しました。

 自然災害はないに越したことはありませんが、災害の多い我が国で、この時の知見がその後の各地の災害にも少なからず活用され、また応用されています。

 少しでも減災ができる体制を構築するとともに、不幸にも万一の場合には、災害廃棄物の処理を早期に進め、復興へと道筋をつけることが肝要と思います。

 被災したことはあまりにも大変な悲劇と苦難をもたらしたことは間違いないと思いますが、せめて多賀城市の様々な被災経験を次の時代に伝承し、もって将来の防災・減災、そして被災時の復興に役立つことを期待しております。