東日本大震災の記録 page 109/178
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東日本大震災の記録
109第6章いのちをあたためてとができなかったりしました。そんな状態が約一週間続き、いつも当たり前にある物の大切さを改めて実感したからです。今回の地震は被害が大きかった分、たくさんのことを学ぶ機会になりました。ただ、たくさんのことを学んだとしても、忘れてしまっては意味がありません。だから、今年度に限らずこれからもずっと忘れずに生活し、学んだことを役立てていきたいと思います。そして、最上級生として、気を引き締めて生活していきたいです。少年の主張多賀城市大会での学校代表生徒の発表から(優秀賞受賞)つながり3年遠藤あゆみ今まで体験したことのないくらい大きく長い揺れに、私は初めて死を意識しました。3月日の東日本大震災で、家の11中は全ての家具が倒れ、庭には大きな地割れさえありました。このままでは危険だと判断した母と一緒に、すぐに学校に避難しました。その後に起きた津波の被害には遭わなかったものの、私の家は、倒れた家具などで住めない状態になっていました。そのため、その後の何日間かを、避難所になった学校で過ごすことになったのです。家とは違い、常に周りに家族ではない人がいる生活が始まりました。気が休まることがなく、当時、私の心の中に浮かんでくることは、早く家に帰りたい、夢ならいいのに、という思いだけでした。自分のことしか考えられませんでした。そんな避難所生活の中で、食料もあまりない時期であるにもかかわらず、毎日、毎日、食事をもってきてくださる知り合いの方がいました。また、普段のように遊ぶことができず元気がない私を、「遊びにおいで」と家に連れて行ってくれる方もいました。断水が続いている中でも、自分の家の井戸を使わせてくださる方もいました。誰もが大変であることには変わりないのに、自分以外のことを考えて行動している人がいるなんて、本当に優しいなあと思いました周。りの方々から、たくさん支えてもらいながら生活をしているうちに、私自身も何か人のためになることがしたい、と考えるようになりました。そして思いついたのが、ボランティアグループをつくることでした。避難所で一緒に生活している友達と、その活動を広げるために、学校で呼びかけることにしました。正直なところ、参加してくれる人がいるかどうか心配でした。活動期間が春休み中で、それぞれの人が大変な状況だろうと思ったからです。しかし、予想をはるかに超える人数が集まり、ボランティア活動を始めることができたのです。活動内容は、避難所の掃除やゴミ捨て、炊き出しの手伝いなどです。最初は何をしていいか分からず、戸惑いながらの活動でしたが、避難所の方々に「ありがとう」と言われると(私も役に立つことができた)とうれしくなりました。そうすると、他にもできることがあるのではないかと、自分から仕事を探すようになりました。一緒に活動している仲間も同じ気持ちを感じていたようで、誰もが一生懸命仕事をしていました今。、振り返ってみると、あの時は、「ありがとう」という言葉やボランティアの活動を通して、人とつながるうれしさや喜びというものを初めて感じていたのかもしれません。今回の震災により、つらい思いもたくさんしました。けれどそれ以上に、学んだことも多くありました。どんなにつらく、悲しいことがあっても、自分は一人ではないということ。人は人に支えられて、協力し合っているということ。自分が何か行動を起こすことで、周りの人とつながっていけるということ。そして、人はみんな優しさをもっているということ。これから私は、行動を起こしていきたいと思います。避難所での生活やボランティアを通して、行動すれば、人とつながり、地域とつながり、社会とつながることが分かったからです。そうして一人一人がつながりを感じられるようになれば、優しい気持ちになり、優しさいっぱいの世の中になることでしょう。つながりは優しさの第一歩。そう信じ続けながら、私はみんなとつながっていきたいと思っています。学校再開までの学校の取組1震災直後の状況及び学校の取組1学校の様子3月日は本校の卒業式で、地震11発生時の午後2時分は、大部分の46生徒は帰宅し、教職員も約3割が校外巡視中であり、体育館で活動中の一部の部活動中の生徒と校内で職務中の教職員で震度6に襲われた。発災直後は、校内で活動中の生徒の保護を第一優先に対応したが、市内全域が停電したため、震度や津波警報の発令の有無、コンビナート火災等については、ラジオからの限定的な情報だけで、学区や市内の状況につ高崎中学校