東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 110/178

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東日本大震災の記録

東日本大震災の記録110第6章いて全く把握できない状況であった幸。い、校舎に大きな損傷はなく、壁面のクラックや建物周囲の若干の陥没が認められた程度であったが、各教室の蓄熱暖房機がすべて倒れてしまった。蓄熱暖房機は単体で約200kgの重さが有り、万一生徒が在室していた場合には、生徒の安全確保は困難を極めたと憂慮される。2教職員の役割分担震災直後、校長の指揮の下、大まかに以下の態勢をとった。1全体指揮眞山校長2渉外芳賀教頭(当時)3避難所運営平岡教務主任4避難所生徒指導下堂前生徒指導主事5生徒安否確認猪股1学年主任(当時)桑原2学年主任(当時)笠原3学年主任(当時)6営繕修理伏見主幹兼事務長(当時)3校舎の安全確認、応急復旧本震直後に、校内にいた教職員で校舎内外の損傷状況を確認し、躯体に異状の無いことを確認、蓄熱暖房機の火災防止措置を行い、午後4時に「避難所機能有り」と市教育委員会に報告した。その後、避難者数が増え、教室に収容するために、倒れた蓄熱暖房機による2次災害防止の措置をとった。本校校舎の耐震性は極めて高く、避難者や教職員に安心感をもたらした。特に、3月日夜に、余震が続11き不安感が高まっていた体育館で、耐震性の高いことを報告したときは、避難者の方々から拍手が起こったほどである。志高く、復興への歩みを校長眞山晴夫3月日の東日本大震災により、11被害にあわれたご家庭や地域の皆様に対しまして、あらためて心よりお見舞い申し上げます。日本の歴史においても未曾有の大震災により、高崎中学校のご家庭の中にも地震や津波のため住む家を失ったり、不自由な生活を今でも余儀なくされているご家庭がございます。まずは、被災された方々の心身のご健康をお祈り申し上げます。そして、一日でも早く、皆様が普通の生活を取り戻すことができますよう、「困ったときはお互い様」の合い言葉で、学校・家庭・地域の「共生の輪」を広げていくことができればと願っておるところです。大地震発生以来、本校職員も市役所の担当職員と共に、被災された方々の避難所となった高崎中学校で、時間体制で支援活動等に微力24を尽くしてまいりました。その間、多くのボランティアの方々、地区の区長さんたち、日本全国から駆けつけていただいた医師・看護師・保健師さん、ブラジルをはじめ多くの諸外国の方々などが、支援の手を差し伸べてくれました。一時は避難所で生活する方々も1、300名を超えましたが、多くの善意、人間の温かさに触れ、感謝の声が数多く聞こえてきました。また、本校のたくさんの生徒諸君が、プール水のバケツ運搬や清掃活動、物資の運搬などでボランティア精神を大いに発揮してくれました。本当に心強さを感じました大。震災の傷はまだまだ癒えませんが、生徒諸君には、本日「志を高く掲げて、未来に向けた復興の歩みを着実に歩んでいこう、その主役は君たちなのだ」と呼びかけました。つきましては、保護者や地域の皆様には、高崎中学校が大切にしている、3つのわ(和・話・輪)をご理解いただき、被災された方々への優しい心遣い並びにお互い様の精神で、本校の教育活動に対しまして、これまでと同様に、ご理解・ご協力とご支援を賜りますようお願いいたします。