東日本大震災の記録 page 119/178
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東日本大震災の記録
119第7章社会基盤の復旧状況件回収し、その約4割が要フォロー者だったので電話や面接等での対応に繋げ、乳幼児健診等は従来以上にメンタル面を重視した内容にしていきました。●復旧復興に向けてこのように通常業務を被災者支援業務と並行して行うことができたのも、地元の皆さんの一人一人の意識や御協力、また全国からの多くの御支援や医師及び保健師等の派遣があったからこそと思っています。本当にありがとうございました。復旧復興には中長期的な被災者の健康支援やこころのケア等は不可欠です。なお一層、被災された皆さまの心に寄り添った健康支援に努力してまいりますので、今後とも、御支援、御協力をお願いします。東日本大震災の発生当夜、ラジオの伝える沿岸各地の被害状況から、本市でも未曾有の大災害が発生したものと推定されました。そこで災害廃棄物の受け入れ場所を中央公園駐車場とし、後日実施される災害廃棄物の処理・処分を考え、可能な範囲での分別をしてもらうための看板を深夜の間に作成、翌朝から中央公園駐車場に看板を設置して受け入れを開始しました。災害廃棄物の撤去は、津波被害のあった地区の道路啓開作業を行いライフラインを復旧させながら、各家庭、各事業所から出される物の撤去作業から開始しました。撤去作業については、本市の建設工事関連の入札参加登録をしている地元事業者で構成する多賀城市建設災害防止協議会を主体に、その他に社団法人宮城県産業廃棄物協会、近隣市町村に所在する産業廃棄物許可事業者、本市の一般廃棄物収集運搬許可事業者等の協力を得て行いました。本市は、市域の面積が・?と1965狭あいで市街化区域内でまとまった更地が少ないうえに、津波浸水エリアが市域の3分の1に及びました。一方で、災害廃棄物の発生量も膨大で撤去作業が進むにつれ、仮置き場の確保が喫緊の課題となりました。中央公園駐車場が満杯となると、あやめ園駐車場、砂押川遊水地、高橋公園、多賀城駅周辺整備事業ヤード、多賀城インターチェンジ予定地、旧多賀城北日本自動車学院跡地と、順次、仮置き場として土地を借り受けました。更に、宮城県が平成23年5月末までに設置するとした二次仮置き場の設置が遅れ、二次仮置き場への搬入時期と仮置き場として使用していた砂押川遊水地の使用期限にずれが生じ、砂押川遊水地に搬入した災害廃棄物について、当初、被災家屋等解体撤去で発生する廃木材等の廃棄物の搬入予定地としていた旧多賀城北日本自動車学院跡地へ全て移動することになりました。また、仮置き場として使用していた中央公園駐車場、あやめ園駐車場、高橋公園及び多賀城インターチェンジ予定地については、住宅、アパートや中学校等が隣接することから外気温が上昇するにつれ、ハエ等の害虫発生や臭気、重機類やダンプ等による粉じん等公衆衛生に関する苦情が市役所へ多数寄せられました。このような状況の中、これまでの災害廃棄物の撤去について北日仮置き場(搬出状況)米沢市内の最終処分場に搬出のため深ダンプへ積み込み生活環境課災害廃棄物対策係