東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 56/178

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東日本大震災の記録

東日本大震災の記録56第2章東日本大震災では、地震発生後、製油所内の全ての装置が自動停止システムにより正常停止したものの、約1時間後に襲来した津波により、構内全域が2・5~3・5mの高さまで冠水し、甚大な被害を受けました。夜になってから陸上出荷設備付近で火災が発生し、5日間燃え続け、近隣の皆様や関係官庁には大変なご心配とご迷惑をおかけし、不安な思いをさせてしまったこと、改めてお詫び申し上げます。地震と津波に加え火災の被害は筆舌に尽くし難く、正常な機能回復にはどの位の期間を要するか直ちには予想がつかない状況でしたが、厳しい寒さが残る中、ガソリンスタンドにも長蛇の列ができるなど、石油製品の供給不足が皆様の生活自体を脅かす事態になってきており、宮城県の村井知事からの要請もあって、とにかく在庫品をどのようにすれば供給できるかを考えました。宮城県の職員と協力体制をとり、まずはドラム缶による出荷を震災1週間後の日から開始することがで18き、宮城県はもとより福島県、岩手県の被災地にも自衛隊によって合計約1、000本送り届けております。その後も協力会社を含めた従業員が一体となって復旧に努め、本格的なタンクローリー積場を松本・朝霞から移設し、5月3日からガソリン、灯油、軽油を通常の3分の1程度出荷できるまでに回復しました。これは、積場を解体した職人がその資材と共にこちらへ来て僅か2週間で組み上げてくれたということで、改めて人間の力強さを感じた次第です。月には、さらにタンクローリー11積場を増設、冬場を前に灯油の出荷能力増強やLPG、A・C重油、アスファルトの出荷も再開しました。ここまでは、他の製油所で精製した製品を受け入れて出荷する、油槽所としての機能回復でしたが、東北地方唯一の製油所として石油製品の安定供給という使命を果たすには、原油を受け入れて製品化する生産機能を復旧する必要があります。当初の計画を大幅に短縮し、1月半ばから精製装置の試運転を開始、安全安定操業のできることを確認して、大震災から1年後の3月9日に生産再開を宣言することができました。地域の皆様のご理解を賜り、関係官庁にも多大なご協力やご支援を頂いたこと、この場を借りまして感謝申し上げます。その後、鉄道によるタンク車出荷を9月7日に再開、タンクローリー積場もさらに増設して月日に最1031終形になり、これで全ての機能が回復しました。今回の震災を教訓として、まずは人命を守る、設備は被害を最小にして長期間の操業停止を避けることを基本にできる限りの施策を講じていく所存です。JX日鉱日石エネルギー株式会社仙台製油所所長山口亮さん東北地方唯一の製油所としての使命を果たすために