東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 58/178

電子ブックを開く

このページは 東日本大震災の記録 の電子ブックに掲載されている58ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
東日本大震災の記録

東日本大震災の記録58第3章3月日時分、私は多賀城消111446防署で執務中、大きな地鳴りと共に庁舎が壊れそうな大きな揺れが襲いかかって来た。強い揺れが一度で収まらず何度も何度も襲う、「ついに来たか宮城県沖地震」と思った。私の脳裏に過ぎったことはその揺れから予想される被害の大きさはどの程度かであった。揺れが収まり、情報収集のためテレビを見た最初の映像は、大津波警報の発令を伝える内容であった。私はとっさに望楼に駆け上り市内の状況を目視したところ火災や倒壊建物等も無く一瞬安堵した。しかし間もなく、浮島方面での火災発生と利府管内大型店舗での救助要請があり、ポンプ車1隊・救助工作車隊がそれぞれ現場へと向かった。程なく大津波警報発令に伴う残りの2隊が高台等への避難広報のため出動をした。そのうちに時分頃から非番等1510職員が事前計画により続々と署に集まり始め、時分頃には署員概ね1530の参集となり、各隊車両への増員と予備用車両隊の編成も可能となった。車両が次々と出動している中、なんと心強かったことか。しかしそれも束の間、その予備隊も直ちに避難広報へと出動する。その後も火災の誤報出動あり、救助出動あり、救急出動ありで各隊員は休むことなく活動を続けた。時頃になり、無線により笠神新16橋付近で活動していたポンプ車隊から津波による冠水の第1報が入る。これが津波襲来の悪夢の始まりで、これ以降119番等からの救助要請が続々と入る。でも職員は愚痴一つこぼさず黙々と救助要請に対処すべく、一つの事案が終われば次の現場への繰り返しとなった。その後、津波により車両だけでの救助事案には対処不能となり、時に救命ボート17活用による救助活動に切り替えた。この間、雪が舞い気温も0度を下回り署員の寒さと疲労が大変気掛りであった。津波による救助要請等はこれでもほんの僅かで、そのほとんどの事案は津波の影響による車両の進入不能と限られた活動隊のため、一部を除き対応不能の状態が続いた。その後も間断なく隊員の救助・救急活動は続くが、逆に隊員の疲労とその安否が気になった。時を過ぎ20た頃、一部活動隊の携帯無線が途絶えたため、その安否が気掛りだったが、間もなく無事を確認し活動要員交代のため、現場からの一旦引揚げを命じた。署に戻った職員は皆、体が寒さで冷えきっており、「暖を取って体を休めなさい。」と言ったら数名の職員から、「直ぐ現場へ戻らせて下さい。まだたくさん助けを求めている人達がいる。今助けに行かなかったら私は一生悔いが残ります。」との返答があったが、それを了承することは出来なかった。その後の活動は、各隊相互間の連絡連携を密とし職員の安全管理を第一として、私も含め多賀城橋を拠点とした不眠不休の救助活動はJX日鉱日石のコンビナートの炎が上がる中、翌日の時頃まで及んだ。1221その間、日の時前に早くも緊1211急援助隊長野県隊が約台の車列を30組んで多賀城市役所に到着、私は心の中で「有難い、本当に有難い」と一瞬目頭が熱くなった。日時頃までの救助人員は約5122300名に及び、ご遺体の収容搬送も数件あった。又、電話等だけで入った救助対応不可能も約件以上と何90とも言いがたい課題を残した。このことは、津波により市内の約3割の地区が浸水し、救助手段として救命ボート使用以外の方法が取れなかったことと、当然のように現在の消防力では圧倒的な自然災害に対処しきれないのが実情であった。結びに、この震災で被災され、また、お亡くなりになりました方々に心よりご冥福をお祈りいたします。救助出動・救急出動を休みなく展開多賀城消防署伊藤英幸さん元署長