東日本大震災の記録 page 63/178
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東日本大震災の記録
63第3章活動の報告2011年3月日時分、日111446本周辺における観測史上最大の地震が発生した。私は、多賀城駐屯地において、余りにも長く大きな揺れに驚き、ただ地震の揺れが落ち着くのを待つしかなかった。地震が落ち着いてから隊舎の外に出て愕然とした。見慣れた景色とは違い、道路は地割れが起こり、電柱は傾き、建物には多数の亀裂が発生した。この大地震が起こる前にも頻繁に地震があったが、まさかこのようなことが現実になるとは思いもしなかった。この時私は長期の災害派遣になるだろうと心の中で感じていた。これが序章であるということも知らずに。それから、災害派遣のため、営庭に車両を移動し、垂れ幕等を装着して準備をしていた。その最中に「津波が来るから屋上に逃げろ」という声が聞こえてきた。チリ地震の際、数十センチの津波しか観測されず、今回もたいしたことはないと思いながら屋上に避難したが、まさに夢でも見ているような光景を見せつけられた。そして、大津波は全てのものを飲み込んで駐屯地にも襲来した。現実を受け止めることができないくらい衝撃的だった。災害派遣活動が開始された。発災当日は、駐屯地周辺において渡河ボートを使用した人命救助活動を実施した。夜になると雪が降り、余震が絶えない中での活動であった。衰弱した人々、津波の恐ろしさにより変わり果てた状況を何度も目にしながら人命救助活動を実施した。2日目以降は、睡魔と闘いながら多賀城市桜木・栄周辺の人命救出活動を実施した。その他の活動として、産業道路等の主要幹線の道路啓開、多賀城市内における行方不明者の捜索活動、給湯支援等の生活支援活動に携わった。避難者の方々は、とても強く温かいと感じた。自分たちが被災して苦しんでいるにもかかわらず、温かい飲み物、食べ物を提供してくださったり、励ましの言葉をいただいた。印象的であった言葉の中で、「自衛隊の方は、普段何をしているかわからなかったけれど、今回すごく感謝している。」私は、改めて自衛隊が必要とされる時は、本当に日本中が助けを求めている時なのだと感じた。避難所において、市の職員の方々や全国各地からのボランティアの方々と協力して活動できたことは、良い経験となった。災害派遣活動を終え多賀城市体育館から撤収する時に子供達からいただいた手紙は宝物であり、今でも大事に保管している。震災は思いもよらずにやってくる。しかし、今回の震災を経験したことで強くなったと感じている。今後、誰もが大規模震災は起きてほしくないと願っているが、万が一に備え、日夜訓練を積み重ねていきたいと考えている。人命救助、捜索、生活支援活動に携わる第1部消防・警察・自衛隊の活動陸上自衛隊第普通科連隊22大志田裕紀さん施設陸曹