東日本大震災の記録 page 66/178
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東日本大震災の記録
東日本大震災の記録66第3章東日本大震災により被害を受けられた皆様には心よりお見舞い申し上げます。あの日、私は消防団第五分団分団長として地震直後、分団詰所に駆けつけました。集まった数人の団員と共に広報活動を始めましたが、その数十分後に津波が押し寄せてきました。同時に車が数十台流されて、それらが折り重なり身動きの取れない人々がその上で助けを求めて叫び、まるで地獄絵図のようでした。夕方からは、団員も人以上となり自衛20隊と共に夜を徹しての救助作業が始まり数十人を救助、また女性の遺体を収容しました。次の日の昼まで飲まず食わずで、小雪の舞う中、腰まで水に浸りながらの活動が続きました。そのような時頭に浮かんだのは近くにある菩提寺でした。行けば何か皆に食べ物を分けて貰えるのではないか、と。住職夫人に事情を話すと気持ちよく段ボールいっぱいの果物、菓子等をいただき1日振りの食べ物に有りつけました。夜からは分団詰所2階に全団員で泊まり込み、3月いっぱい救助、捜索活動を行いました。日中は遺体収容、夜はガソリン泥棒の警戒など活動は多岐に渡りました。また、仕事場から分団詰所に来る途中で団員一人が亡くなり、捜索中の団員が発見し皆が大変なショックを受けました。団員の中には父親や兄弟全員を亡くした人もいました。3日目ころからは1日に1回市より食糧の配給が始まりました。インスタントラーメンやおにぎりで空腹を満たしながら、活動は続きました。2週間目あたりには、捜索活動や夜の警戒も一段落しました。その頃、団員の友達で、東京、また地方各地にいる方々が支援物資を送ってくださり、マンション等自宅避難をしていた方々にポンプ車で物資を届けることもしました。3月いっぱいで消防団の活動は一区切りがつき、4月からようやく自宅待機となりました。想像を超えた災害を体験し、自然の脅威を目の当たりにして人の無力さや命の儚さを強く感じましたが、同時にたくさんの人の温かさに触れ胸が熱くなりました。この大変な災害を共に乗り越えた団員の皆様には感謝の念でいっぱいです。広報、避難誘導、救出と防犯パトロールの実施多賀城市消防団第五分団赤間髙雄さん元分団長