東日本大震災の記録 page 71/178
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東日本大震災の記録
71第4章3・11ドキュメント「あの日」旧につきましては、震災から約1年後の平成年3月末に完了24し、震災前と同じ工程での都市ガス供給を再開しております。当初の予定より早期に復旧できたのは、多くの方々から多大なるご支援、ご協力をいただいたおかげであり、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。今回の震災で得られた最大の教訓は、エネルギー事業者にとって安定供給がいかに重要かを再認識したことでございます。この教訓を胸に、仙台市ガス局では、「二度と全面供給停止はしない」という強い決意のもと、港工場設備の浸水・冠水防止などの津波対策を講じたほか、ガス導管の被害が大きかった地区を優先して、地震に強いポリエチレン管への入替えを進めております。さらには、津波の被害を受けない内陸部への新たなパイプライン受入地点の設置を進めるなど、より災害に強い製造・供給体制の構築に努めております。1ヶ月以上にわたってご不便をおかけしたにもかかわらず、供給再開の際に皆さんからいただいた「ありがとう」の言葉を私たちは決して忘れません。お客さまからの心づかいや、あたたかい言葉を励みに、さらなる「安全・安心」をお届けするため、今後とも職員一丸となって安定供給、保安の確保に全力で取り組み、社会の復興をエネルギーの面から支えてまいる所存でございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・被災企業や地域産業創出のため「復興パーク」を提案ソニー㈱仙台テクノロジーセンター総務センター仙台総務室室長鈴木登之和さん弊社は、放送局などで使用する業務用ビデオテープやアーカイブ用のデータテープ、放送局用&家庭用のブルーレイディスク、及び、医療用プリントメディアなどの記録媒体に関するソニーの主要な開発・生産拠点である。震災当日、時過ぎに構内に16大津波が濁流の如く流れ込み、貨物コンテナや227台の自動車、そして様々な瓦礫によって建屋の壁や扉やシャッターの一部が破壊され構内は瓦礫の山となった(構内の平均潮位は、2m弱)。想定をはるかに超えた大津波の襲来ではあったが、毎年、全社員を対象に防災訓練を実施して来たことで、約1、200名の社員と旧ソニーグラウンドに避難していた近隣の方も一緒に迅速かつ整然と弊社の幾つかの建屋へ避難して全員無事であった。震災後3日目から、連日、社員総出で泥かき作業を続け、GP会社や協力会社などからの人員、物資支援により、発電機や水や食料などをきちんと確保出来たので復旧活動を継続することが出来た。公共水道の復旧に1ヶ月、電気の完全復旧には4ヶ月半程要したが、社員や関係者の懸命な復旧作業によって、5月にはブルーレイディスクの生産再開、7月には業務用ビデオテープの生産も再開することが出来、その後、開発業務も再開出来た。また、震災後速やかに防災計画や事業継続計画(BCP)の見直しを行い、津波を想定した対策が完了している。「お客様にできるだけ早く商品をお届けする」という観点から、幾つかの事業は多賀城以外の事業所へ移管した。それによって生じたフロアの空きスペースを集約し、7棟の空建屋を準備した。2011年4月に被災企業の復興や地域産業創出の場としてご活用いただく「復興パーク」のご提案をさせていただいた。運営は、公益財団法人みやぎ産業振興機構様にお願い出来る運びとなり、名称を「みやぎ復興パーク」とし、2011年12月より入居が開始された。2012年月時点での団体が入1122居を完了している。