東日本大震災の記録 page 86/178
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東日本大震災の記録
東日本大震災の記録86第4章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「おはしも」の約束が浸透していた大代保育園園長鈴木慶祐さん当園は大代1丁目に所在する名定員の保育施設です。60震災により床上約cmの浸水70被害を受けました。震災時、経験したことがない揺れの最中、恐怖心を抑え日頃の訓練通りに行動を行えたことが幸いし、大きな混乱もなく、けが人を出すことはありませんでした。当園では毎月1回、地震・津波・火災・不審者に対する防災訓練を行っていました。そのおかげで職員の防災意識が高く、避難行動の際、子供にも「おはしも」のやくそくが浸透していました。「おはしも」とは、おさない・はしらない・しゃべらない・もどらない、ということです。普段の訓練では怖くて泣く子が多いのですが、震災時は子供なりにただならぬ雰囲気を感じていたようで、ほとんど泣く子はいませんでした。多賀城駐屯地の隊員に発見救助されるまで、備蓄していた食糧や備品でとりあえず難を逃れることができました。今回の震災を受けて防災訓練の大切さというものをあらためて実感いたしました。これもひとえに多賀城市はじめ各関係機関、保護者や地域住民皆様のご指導の賜物と感謝しております。復旧復興に携わる皆様にはお身体を大切にし、安全に留意されご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東日本大震災の一被災者として大代中区区長小野菊郎さん当日は、大代公民館まつり準備中で、経験したことのない揺れの中を右へ左へ身を移し恐怖心と戦っていた。自宅へ戻る途中、屋根瓦の落下を見て大きな地震だと実感し、町内が大変なことになっていると思い走った。玄関から、内部の散乱した状況を見て、これは非常時だと、まず班長宅へ安全確認と非常時の行動を取るよう徒歩で連絡に走った。途中歩いて避難する方に声をかけ怪我はない事を確認した。道路は、通行に支障無く地震による損傷はまだ少なかった。自宅へ戻った時、近所の方が津波が来たと現れ条件反射で車を高台の知人宅へ走らせた。その時、初めて貞山堀から溢れた津波が住宅地に来るのを見た。周辺に避難されている方々を東小学校へ搬送し、以後1ケ月間避難所運営を市職員と共に行い避難者の対応に当たった。避難所では600名~640名の避難者同士が自主的に協力し助け合って秩序ある生活をし、大きなトラブルもなく過ごせた事は共助の認識が高まっている結果で今後の参考になった。集団の中では、的確な判断が出来るリーダーが絶対必要で、その一声で、身の安全確保、精神的に落ち着く事ができると実感した。今回の災害で得た事は、1・地域では、リーダーの育成に投資をしておかなければならない。2・自宅に3日間の食料品と水を備蓄すること。3・行政は、避難者救済に必要な発電機、ストーブ、燃料、毛布、缶詰、水、乾パン、ご飯等避難所に備蓄しなければならない。4・公私に亘る支援への感謝とお返しをする事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・コミュニケーションの大切さと支え合う力を再認識八幡下一区区長津田孝造さん地震が起きた時、私は産業道路沿いの店舗の駐車場にいました。今まで感じた事のない揺れに慌てふためきました。でもとっさに区長と消防団員としての自覚に目覚め、揺れがおさまる前に車で自宅に戻りすぐにポンプ車置場に出動しました。ラジオから流れて来る大津波情報に驚きこれはただごとではないと察し、砂押川の水位の