東日本大震災の記録

東日本大震災の記録 page 88/178

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東日本大震災の記録

東日本大震災の記録88第4章間、食事の世話から、洗髪、足浴までお世話して感謝された。台所婦人部人以上の皆さまの10奉仕の心に敬服、感謝する。・マンション自宅避難者当地区750世帯・1700人の多くの人たちが自宅避難していることを多賀城市に報告して、避難の拠点であるコミュニティーセンターに支援物資の配給をお願いした。特にマンションの受水槽に災害用蛇口を接続して給水サービスしていたので、毎日2トンの配水車2台の注水は有難かった。トイレ用水は砂押川の水をポンプアップして運搬することで自宅の水洗便所が使用できた。・キッズルーム幼児から小学児童までお子達の心と、お母さま方の気持ちも落ち着いていただけるよう、心が休まる場所を提供しようと開設した。この試みは当地区在住の臨床心理の専門家のアドバイスによる企画で、午前中は集会所大ホール、午後はグローリオタワー2階のキッズルームに3月日からの約1週間、~182030人のお子様が集まり、母子ともにそれなりの安心、休息感が得られたと思われます。・災害時の自助、共助今回、火災事故が無く幸いであったが、夕食炊事時間であれば「てんぷら鍋火災」にも対応の備えも必要である。家具の下敷きにならなければ堅牢なコンクリートマンションが「一番安全な避難場所」なので「家具の固定」が必須の要件で、食器類の飛び出し防止など「身を守る防災」を家庭内の自助努力として励行を呼びかけたい。地震の際には、お隣近所に声をかけて「安否確認」の習慣も定着させたい。今回の経験から、「大地震の際には近くの高い建物に避難せよ」とTV、ラジオで報道PRされているので、マンション住人は、隣近所に加えて川向うの他地区住民も迎え入れることにも慣れて、助け合い共助の心配りが必要であると心得よう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・闇夜に灯り、無線機これがコミュニティの永遠の灯り鶴ヶ谷区区長滝脇修さん震災直後、津波が押し寄せるまで1~2時間、私は意外に落ち着いていたと思う。右手に携帯ラジオを持ち、左手には「みまもり隊」の小型無線機を持っていた。我が家の前の砂押川の土手は広範囲にわたり無残にも裂け崩れ、電柱はかなり傾いている。ラジオからは「仙台港に大津波6メートル、至急避難」の情報。分ぐらいだろうか、私は大声20で近所の人に避難するよう触れて回った。間もなく、買い物からやっとの思いで帰った妻と、急いで避難所の天真小学校に向かおうとしたとき、「誰かたすけてください!」の声。近所に住む歳90になる独居婦人を心配して来た介護施設の職員だ。職員は他の人を確認に行くというので、部屋から婦人を連れ出し、妻と二人で天真小まで運んだ。車を高台に避難し終えたころには携帯は全く繋がらなくなっていた。しかし、左手に持った小型無線機からは、みまもり隊員からの情報がいろいろと流れていた。隊長からの指示で、笠神新橋付近の水位を公園の高台から逐次無線で報告した。その後の隊長の避難指示で隊員は天真小に避難した。「鶴ケ谷みまもり隊」は大震災後約1か月間、天真小避難所で種々のお世話活動を行った。私自身は自宅が床上浸水被災ということで、避難所のお世話にはあまり参加できなかったが、小型無線機のお蔭で周囲の状況や隊員の様子を細かく知ることができた。平時には気が付かないことだが、災害時こそ情報の共有が必要と言える。リアルタイムの正確な伝達は心の動揺を抑え落ち着かせる。そして的確な判断を導き、互いに、新たな心の重ね合わせも生まれよう。私たちは今も、毎週、全員で通信訓練を行っている。震災を経験して、無線機通信こそが、少々大袈裟だが、コミュニティの永遠の灯りを確保するものと確信している。鶴ヶ谷区の津波の様子